先日、逝去したジャック・ケッチャムさんを偲んで、ただいま、紀伊國屋書店新宿本店さんにて、ケッチャム追悼企画を大々的に展開してくださっております。
 
以下、ケッチャム愛なら誰にも負けない、弊社販売部Mによるご紹介です!
 
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ケッチャム死去のニュースを聞いて、誰よりも早く扶桑社に電話をかけてきて、「『隣の家の少女』を100冊ください!あと、残っている他の作品をあるだけください!」と言ってきた人物がいました。
その男性は日本一、いやおそらく世界一ケッチャムを愛する書店員で、ッチャムマニアの間ではリスペクトを込めて"ケッチャム王子"と呼ばれている森瑞人さん。
 
5年以上前から、ケッチャムの全作品が常時平積みから外されることがなく、森さん手作りの【ドキドキ☆ケッチャム占い】のパネルとともに、「紀伊國屋書店新宿本店の文庫売り場のケッチャム愛が異常」とネット上で話題になっていました。
 
 
現在、紀伊國屋書店新宿本店さんでは、ケッチャム追悼のすさまじい大展示を実施しています。
 
アメリカ横断ウルトラ双六アップ小.jpg 
★(一部)ネタバレ上等!ケッチャムと行くアメリカ横断ウルトラ双六
→森さんの手作り!作品ごとの犠牲者の人数まで記してある親切なガイド。ちゃんとサイコロも置いてあります。
 
ケッチャムコーナー全体小.jpg
 
 

隣の家の少女ワゴン全体小.jpg

隣の家の少女パネルアップ小.jpg

★森さんによる追悼文巨大パネル
レジ前の、行列に並ぶ人が必ず立ち止まる、売り場の一等地に設置(撮影時。現在はケッチャム双六の横に掲示してあります)。
小さい字でめちゃめちゃびっしりと、面白おかしく書かれたケッチャムへの愛。
そして最後に書かれたこの一文に、同じ思いを持つ私は思わず涙をこぼしてしまいました。
「この作品(隣の家の少女)には何者も真似出来ない凄さ、切なさ、青春の輝きが詰まってます。最高だという人も最低だという人もいます。どっちかしかないって、本当にすごい事だなって。もちろん僕にとってはケッチャム作品の全てが最高ですが。ケッチャム、好きですから。」
 
 
coverサイン本小.jpg
 ★『Cover』(邦題『森の惨劇』)ケッチャム直筆サイン本(森さん私物)展示
 
二代目缶バッジ.jpg
★ただいま紀伊國屋書店新宿本店でケッチャム作品をお買い上げの方に
もれなく特製ケッチャム缶バッジ(二代目)をプレゼントしています。
 
 
「万人に好かれる作品は良い。
でもそうじゃない作品の方が、
心に残る事もある。 それがケッチャム。」です。 (販売M)

2018年2月19日 21:43 | | コメント(0)

弊社海外文庫の中心的作家として長く読者の皆様に愛されてきたジャック・ケッチャムさんが、2018年1月24日ご逝去されました。享年71。長いがんとの闘病の末、亡くなられたとのことです。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

代表作としてはやはり、実際にあった少女監禁事件に題材をとった傑作『隣の家の少女』と、食人族をモチーフにして当初発禁に近い扱いを受けたデビュー作『オフシーズン』の二作を上げるべきでしょう(後者の文庫は残念ながら品切れです。電子版をどうぞ......)。
とくに『隣の家の少女』は、弊社書籍としては異例の頻度で版を重ねてきた、弊社文庫の「顔」ともいえる作品であり、現時点ですでに41刷を数えております。
くわえて編集者自身は、『老人と犬』と中編集『閉店時間』(とくにそれに収録されているウェスタン「川を渡って」)をみなさんにぜひ強力にお薦めしたいところです。(以下、敬称略)

隣りの家の少女 表紙画像ミニ.jpg

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ケッチャムは、一般にはジャンル・ホラーの作家と認識されているかもしれません。
たしかに、ケッチャムの小説は、残虐で、無慈悲で、血みどろの描写にあふれています。
しかし、ケッチャム・ファンの多くは、単なる恐怖、単なる残虐性、単なるイヤミスの枠を超えたところで、彼の露悪的ではあっても繊細な、「暴力への感受性」それ自体に惹きつけられているのではないでしょうか。少なくとも編集者はそうです。

 

ケッチャムの提示する"つくりもの"ではない「悪」の実存と、天災のごとく降りかかる理不尽な加害のリアリズム(およびその逆説としての世界の平等性)、心の痛みすら伴う体感的な恐怖は、おそらく文学史上、唯一無二のものです。

 

同時に、その裏からほとばしる、立ち向かうことへの肯定的意思、被害者も加害者も報われない神なき世界でなお生きるひとびとの矜持は、意外にもみなさんの胸を打つかもしれません。

 

そして、そんな真摯で謹直ですらある作家性......ほんとうの痛みを知る繊細でたおやかな世界認識(そうじゃないと、9.11のあと小説が書けなくなったりはしない)を、なにかとジャンル・ホラー愛好とエキセントリックな過剰性でつつまずにはいられない、この人物の「含羞」と、出自を裏切らない誠実さを、編集者はこころから愛します。

 

改めて、この不世出の作家の早すぎる死に対し、衷心よりお悔やみ申し上げるとともに、ひとりでも多くの方にケッチャムの諸作を読んでいただけることを願ってやみません。(編集Y)

 

 

付録その1
★ケッチャム中・長編リスト

急遽、今作ってみたので若干誤植とかあるかもしれませんが、お許し下さい。
(発表順、邦題のあるものはすべて扶桑社ミステリー刊)

『オフシーズン』(Off Season, 1981年)
『Hide and Seek』(1984年)
『森の惨劇』(Cover, 1987年)
『She Wakes』(1989年)
『隣の家の少女』(The Girl Next Door, 1989年)
『襲撃者の夜』(Offspring, 1991年)
『ロード・キル』(Joyride,  英Road Kill,1994年)
『オンリー・チャイルド』(Stranglehold, 英Only Child,1995年)
『老人と犬』(Red, 1995年)
『Lady's Night』(1997年)
『地下室の箱』(Right to Life, 1998年)
『黒い夏』(The Lost, 2001年)
『ザ・ウーマン』(The Woman, 2010年)(ラッキー・マッキーと共作)
『わたしはサムじゃない』(I'm Not Sam, 2012年)(ラッキー・マッキーと共作)
『The Secret Lives of Souls』(2016年)(ラッキー・マッキーと共作)
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『The Box』(1994年,中編)
『Station Two』(2001年,中編)
『狙われた女』(Triage, 1990年)―競作集 「シープメドウ・ストーリー」(Sheep Meadow Story,中編)収録
『閉店時間』―中編集 「閉店時間」(Closing Time,2007年)「ヒッチハイク」(The Passenger,2001年)「雑草」(Weed Species,2006年)「川を渡って」(The Crossings,2003年)収録
『Old Flames』(2008年,中編)
(その他、短編多数)

 


付録その2
★翻訳者によるケッチャム入門

ずっと、弊社でケッチャム作品を翻訳してくださっている金子浩さんによるケッチャム紹介です。
下記のリンクからどうぞ。

翻訳ミステリー大賞シンジケート 初心者のためのジャック・ケッチャム

 


付録その3
★ケッチャムの選んだオールタイム・ベスト

文春さんの依頼で弊社からケッチャムさんにお願いしたら、速攻でお返事がいただけたのでした。本当に良い方だったんですよ......(泣)。ケッチャムという作家の核心を成すものが、むしろホラーではなく「ノワール」であることを明示する興味深いリストではないかと思い、再掲します。

●『長いお別れ』(レイモンド・チャンドラー)

●『羊たちの沈黙』(トマス・ハリス)

●『ゲット・ショーティ』(エルモア・レナード)

●『ミレニアム2 火と戯れる女』(スティーグ・ラーソン)

●『TALK TALK』(T.コラゲッサン・ボイル)

●『夜の終り』(ジョン・D・マクドナルド)

●『THIEVES LIKE US 』(Edward Anderson)

●『血と暴力の国』(コーマック・マッカーシー)

●『ブラック・ダリア』(ジェイムズ・エルロイ)

●『おれの中の殺し屋』(ジム・トンプスン)

 


付録その4
★ケッチャム鬼畜営業日記

おそらく日本一ケッチャムを愛する弊社営業の女性販売員による、
ケッチャム『ザ・ウーマン』販促大作戦のブラッディー・ドキュメント!

翻訳ミステリー大賞シンジケート ケッチャム鬼畜営業日記

 

文中に登場する「書店時代のエピソード」は下記の座談会でお読みいただけます。

扶桑社ミステリー&ロマンス入門ガイド 第3回

 

 

2018年1月25日 15:45 | | コメント(0)

遅まきながらあけましておめでとうございます!

本年も扶桑社ミステリーを、よろしくお願いいたします。

 

さて、新年早々嬉しいニュースが飛び込んでまいりました。

翻訳ミステリー大賞シンジケートの情報によれば、せんだい読書会さんと福島読書会さんで連動して、レオ・ブルースの二作品をとりあげていただけるとのこと!!

本当にありがとうございます!!

 

なんでも、東北読書会ツアーが組めるように、わざわざ作家を揃えられたとのこと。すごい!

 

せんだい読書会

開催日:2018年2月17日(土曜)

課題書: 『ミンコット荘に死す』(レオ・ブルース:著 小林晋:訳)

詳細・応募は こちら

ミンコット荘に死すblog.jpg

 

当ブログによる紹介文は こちら

 

★福島読書会

開催日:2018年2月18日(日曜)

課題書:『三人の名探偵のための事件』(レオ・ブルース:著 小林晋:訳)

詳細・応募は こちら

三人の名探偵のための事件がJpegブログ画像.jpg

 

当ブログの紹介文は こちら

 

レオ・ブルースは、イギリスの本格ミステリー黄金期を支えた巨匠のひとりといっていいでしょう。

 

まず、レオ・ブルースの作品には、練り上げられたトリックと、プロット全体におよぶパズラーらしい凝った趣向、そしてロジカルなフーダニットという、「王道」の本格ミステリーとしての重要な要素がすべて備わっています。

この点で、彼はクイーンやクロフツ、カー、クリスティといった大作家にも、けっして引けを取っていない、と編集者は思っています。

 

一方で、レオ・ブルースからは、そんな本格ミステリーというジャンルや登場人物のありようを、徹底的に茶化し、分析し、メタ化していくような部分も、色濃く感じ取れます。

ただそれは、本格ジャンルを否定的にとらえて批判しているわけではなく、あくまで本格を愛するがゆえに、斜に構えて面白がっているのですね。

これは、彼がミステリーライターであると同時に、イギリスにおいて伝統的なユーモア小説/諷刺小説の系譜に属してもいるからであり、その点で彼は、正しくアントニー・バークリーの作風を継承する本格ミステリー作家であるといってよいかと思います。

『三人の名探偵のための事件』解説で、真田啓介さんはレオ・ブルースを「英国余裕派」のひとりとして分類しています。真田さんが唱える「英国余裕派」とは、E・C・ベントリー、A・A・ミルン、ロナルド・ノックス、アントニー・バークリー、シリル・ヘアー、エドマンド・クリスピンといった作家に代表される「遊び心が旺盛で、ゆとりと落ち着き、現実との適度の距離といったものをその作品に感じさせる作家の一群」とのこと。それぞれの作品を読んだ方には、当然ピンとくるところがあると思います。

編集者はこの解説原稿があがってきたとき、まさにそれだよね!と思わず膝を打ちました。

 

そして、ここからは個人的な意見であり、同時に大変重要なポイントと思うのですが、英国における本格ミステリーの発展史は、「名探偵が活躍する王道のトリッキーな本格と、本格をゆとりをもって諷刺するような余裕派の本格が、同時期に創作されることで、ジャンルの両輪として高めあって」形成されてきたのです。

皆さん、なんとなく思い込んでいないでしょうか? 「先に」王道の本格があって、「後から」それをパロディ風に扱うタイプの作品が書かれだしたかのように?

実際には、ベントリーの『トレント最後の事件』は1913年、ミルンの『赤い館の秘密』は1922年の発表ですし、ノックスやバークリーの活躍期はクリスティの創作活動の最初期とかぶり、クイーンやカーの登場には若干先行すらしているわけです。

要するに、英国本格史において、本格ミステリー独特のお約束や虚構性、「名探偵」の機能といったものに自覚的に言及し、あるいは茶化し、あるいは逆手に取ってネタにするような作風は、ジャンルのごく初期から存在し、本格ミステリーという異形の文学を、常に内から「再規定」し続けてきたのでした。

加えて、それ(英国本格)に「外から」憧れ、恋焦がれて、さらなるジャンルの「純化」を図った、アメリカのスクール(ヴァン・ダイン、クイーン、カーなど)の存在(日本の新本格を見ても分かるとおり、「外」からジャンルに横恋慕した愛好者は、本国のどぶろくを蒸留酒に変えてしまうのです)。三者がお互いに刺激し合うことで、20世紀前半の本格ミステリーは急速な発展を遂げた、ということができるのではないでしょうか。

 

レオ・ブルースは、そんな「余裕派」の作風を正しく継承し、本格ミステリーという枠組みそのものを、茶目っ気たっぷりに外から「揺るがす」ことで(同時に枠組みの「中」もちゃんと設えられているからこそ、それが生きるわけですが)、新たなミステリーの沃野を切り開いていった作家でした。

ビーフ巡査部長を探偵役とする初期の作品群(長編は8作)は、とりわけ実験性に富み、型を破ろうとするチャレンジ精神が一作ごとに強くうかがわれます。その第一作、ブルースのミステリー作家としてのデビュー作が、今回福島読書会で課題となる『三人の名探偵のための事件』です。

その後、レオ・ブルースは、1955年刊行の『死の扉』(創元推理文庫)で、よりオーソドックスな「素人探偵」キャロラス・ディーンを主人公として初めて登場させ、作風にも一定の変化をみせます。以降、23作にわたってレオ・ブルースはキャロラスを探偵役とする長編を書き続けることになりますが、今回せんだい読書会で取り上げてくださる『ミンコット荘に死す』は、その第三作となります。

 

まあ、精読すると、いろいろ細かいアラにも気づいてしまうかもしれませんが(笑)・・・そんなの愛さえあればきっとへっちゃらですよね?

未読の方はこの際ぜひ、既訳作に手を伸ばしていただき、レオ・ブルースの滾る本格愛をぜひ体感していただくとともに、その小説を書くことで彼が「なにを狙っていたのか」をじっくり考えてみていただければと思います。

両日、編集者は残念ながら東京で私用があって参加できませんが、楽しい会になることを心よりお祈り申し上げます! そしてみなさま、ふるってご参加を!(編集Y)

2018年1月11日 14:18 | | コメント(1)

お待たせいたしました! 二ヶ月ぶりのクライブ・カッスラーの新刊『ソロモン海底都市の呪いを解け!(上・下)』。今回は、愛すべきトレジャー・ハンター・コンビ、ファーゴ夫妻ものの最新刊です。

共著者は、前作にひきつづきラッセル・ブレイクが務めています。

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今回の二人は、ソロモン諸島のガダルカナル島にやってきています。

二人の友人である考古学者から、ソロモン諸島沖の海底で人工遺物を発見したとの連絡が入り、その調査の援軍として島を訪れたのです。

いざ調べてみると、遺物は840年ほど前に自然災害によって沈んだ建造物の可能性がでてきて、調査は本格化。やがて二人は、傲慢な王が都市を建設したが、神々の怒りで破壊され呪いがかけられたとの伝承を知ります。しかし島で言い伝えられているのはそれだけではありませんでした。密林の洞窟群に住み、人間を食らう「巨人族」の伝説。実際、島では子供の失踪事件が頻発していました。

(一応、勘違いされる向きも多いかと思うのでご注意いただきたいのですが、本書の「ソロモンの呪い」は、「ソロモン王の呪い」ではなくて、あくまで「ソロモン諸島の呪い」ということなんですね)

そんななか、ファーゴ夫妻は聞き取り調査の途中、何者かの襲撃に遭って、九死に一生を得ます。さらには反政府勢力が台頭し、 島にはいつしか不穏な気配がみなぎってきて・・・。

大規模な潜水調査の結果発見される、巨万の財宝の痕跡。

いよいよ高まってくる暴動のきざしと、暗躍する何者かの影。

やがて夫妻は、島に隠された驚くべき秘密を知ることになるのです。

 

さて、本書の見どころとしては、何と言ってもファーゴ夫妻の日本上陸があげられるでしょう。

海底遺跡と財宝のゆくえを解くカギが、第二次世界大戦中にガダルカナル島沖に沈没したと思しき日本軍駆逐艦に隠されていると知ったふたりは、乗船していた日本軍将校の子孫に話を聴くべく、成田へ飛ぶのです。

まあ、なぜか目的地は東京ではなく、千葉の佐原なんですが(笑)。東京より空港に近い、ってネタをやりたかったのかな? あと、来る経緯が日本人にとってはちょっと刺激の強いネタなので、多少読者を選ぶかもしれませんが。

 

もう一点、今回は、比較的地味にスタートして、漸進的に物語のスケールを拡大させていく組み立てが顕著なのも特徴かと思います。

序盤は、油断してたらワニに食われたさあ大変みたいな、牧歌的なドメスティック・アクションをやってたのが、下巻では内乱危機で戒厳令みたいになってるわ、恐るべき陰謀(本当に今回の悪玉は超ろくでもない)の真相が明らかになるわで、なかなかにどえらいことになっております。

また、前半の海洋調査から一転して、後半は壮大な鍾乳洞アドベンチャーとなりますので、地底ものがお好きな皆様には、必ずや喜んでいただけるかと。

ゲストキャラも魅力的。とくにオーソン・マンチェスターという島の国会議員が出て来るのですが、これが非常にインパクトのある人物で、作品のカラーを決定する役割を果たしています。

それと、個人的感想ですが、今回はサムとレミの掛け合いが、いつも以上に数が多いし、切れもいいような気が。なんといっても、編集者のなかではファーゴ夫妻シリーズは、『探偵ハート&ハート』のトレジャー・ハント・アドヴェンチャー版といった位置づけなので(笑)、こういう気の利いたラブラブなやりとりがあるとやっぱり胸躍りますね。

 

お正月休み。あんまり小難しい本は読みたくないですよね? そんな貴方にほろ酔い気分のお屠蘇気分で愉しく読んでほしい、圧倒的リーダビリティとサーヴィス精神に支えられた極上エンターテインメント。よろしくお願いいたします!

なお予定は未定ですが、次回のカッスラーは2018年の夏ごろにオレゴン・ファイル・シリーズの最新刊をお届けするつもりです。こちらも、ぜひご期待ください。

 

末筆ではございますが、今年も一年間、扶桑社ミステリーにご愛顧賜り、誠にありがとうございました。来年も、よりパワーアップしたラインナップで、皆様のご期待に何とかこたえていければと思っております。引き続きのご愛顧のほど、衷心よりお願い申し上げます。

(編集Y)

 

 

 

2017年12月27日 07:56 | | コメント(0)

またも、長らくブログの更新をサボってしまって、大変申し訳ありませんでした。

公私ともこの秋はあまりに忙しくて・・・・・・。海外出張あり、大量のゲラあり、よくわからんネット連載あり、『国宝展』あり、週5日ペースで演奏会もあり・・・・・。いや、言い訳にはならんです、はい。本当にごめんなさい。

ようやくここ一週間で、抱えていたゲラ5冊分、1800頁分をそれぞれチェックを終えて渡すべき人に渡し、なんとか過酷な徹夜生活にも一段落がつけられましたので(といって今日も朝までコースですが)、取り急ぎ先月発売のクライブ・カッスラー新作をご紹介したいと思います!

 

すでに先月頭より発売中の『ハイテク艤装船の陰謀を叩け!』(上・下)、もうお手にとっていただけたでしょうか?

「艤装」ってのは「ぎそう」と読みまして、船が完成したあと施される装備のことを指すんですね。

こちらは、秘密工作船オレゴン号の船長ファン・カブリーヨと仲間たちの活躍を描く〈オレゴン・ファイル〉シリーズの最新刊です。共著者は前作に引き続き、ボイド・モリソン

 

  ハイテクブログ用.jpg

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開幕早々、モナコ・グランプリ・レースのお祭り騒ぎにまぎれて進められる恐るべき陰謀と、アルジェリアの砂漠でカブリーヨたちが繰り広げる核兵器争奪戦のようすが、手に汗握る平行モンタージュで描かれます。

これぞカッスラー節。もう出だしからフルスロットル、ノンストップ・アクション全開!

 

いつも思うんですよ。

カッスラーのことを単なるブロックバスターの流行作家みたいに「軽く考えてる」人がいたとしたら、その人たちの考える「エンターテインメント」って一体なんなんでしょうね??と(挑発的w)

こんなに誰が読んでもめっぽう楽しめて、無条件に心底スカッとできて、大満足でスッキリ読了できる小説が、果たして世の中にどれくらいあるものでしょうか。

圧倒的なサービス精神と、王道を行く痛快なストーリー展開。

重たくはないかもしれないし、ためにもならないかもしれない(笑)。

誰も書評なんか書いてくれないし、ミステリマガジンではいつも「その他」扱いされてる。

でも、間違いない。これは第一級の冒険活劇です。

やっぱりカッスラーは、べらぼうに面白い。

読んでみないと、それはわかりません。

 

アルジェリアの一件を巧みなチームワークで片付けたカブリーヨたちに、モナコで銀行のセキュリティが破られ(犯人と思しき頭取は事故死)、国際銀行の多額の資金が消失し、ファブリーヨの〈コーポレーション〉が預けてあった巨額の金も行方不明になったとの連絡が入ります。

本当に頭取が犯人だったのか? 裏で事件を操っている黒幕がいるのではないか?

犯人たちの本当の目的な一体なんなのか?

カブリーヨたちは、自ら銀行襲撃事件の捜査に乗り出し、事件を操る天才ハッカーの存在と、謎のハイテク艤装船が関与している事実を突き止めます。

さらにはなぜか、ナポレオンの遺産争奪戦が事件と絡んできて・・・巨悪の正体と隠し財宝の在り処を追って、カブリーヨたちオレゴン号のメンバーは、アルバニア、フランスのニース、ロシア、リトアニアと、世界をかけめぐります!

追いつ追われつのデッドヒート。ハイテク兵器どうしによる息詰まる海上戦。

今回の敵は強大。ついには、オレゴン号のメンバーに殉職者が出て・・・・。

世界の破滅が刻一刻と迫るなか、カブリーヨたちは巨大な陰謀を叩くことができるのか?

 

シリーズとはいえ、この巻からでもまったく問題なく読めるかと。

ぜひお手にとって、大流行作家の大流行作家たるゆえんを感じていただければ!

 

そして・・・・これから年末に向けてもう一作、カッスラーが待ち構えております!

タイトルは『ソロモン海底都市の呪いを解け!』(上・下)。

こちらは、大富豪&トレジャーハンター夫婦の大活躍を描く〈ファーゴ夫妻〉シリーズの最新刊。

今回は、南太平洋に浮かぶ島嶼国、ソロモン諸島を舞台に、海底都市探索と隠された黄金をめぐる大活劇が展開されます。あと、ついにファーゴ夫妻が(半分なりゆきですが)日本上陸を果たします(笑)。こちらも、ぜひお楽しみに!(編集Y)

 

 

 

 

 

 

2017年11月21日 02:28 | | コメント(0)

祝!『プリンセスチュチュ』Blu-rayBOX発売!!

 

あ、間違えた!

 

祝!『三人の名探偵のための事件』、ついに弊社より文庫化!!

 

これまでご紹介してまいりましたレオ・ブルース

既刊の『ミンコット荘に死す』『ハイキャッスル屋敷の死』は、東京創元社さんの『死の扉』に続く、名探偵キャロラス・ディーンものでした。

 

今回、上梓いたしましたのは、ビーフ巡査部長が登場する初期シリーズの第一弾。すなわち、多岐にわたる著作活動を行ったレオ・ブルースの手がけたミステリーの第一作です。

ちなみに、1998年に新樹社さんより発刊されていた単行本の文庫化でございます。

当時、『このミステリーがすごい!』で、海外編第4位を獲得(本ミスじゃなくて、このミスですよ!)。本格物としては、異例の高評価を集めました。

いやあ、編集者の感覚でいえば、ついこの間出たような気分だったりもするのですが、もうあれから20年近く経ってるんですね・・・そりゃあこっちの加齢臭もきつくなるわけです・・・。

もはや、世代的に親本の存在を知らないミステリー・ファンの皆様もいらっしゃるやも、ということで、翻訳者の小林晋さんとも相談のうえ、こうやって復刊させていただいた次第です。

  三人の名探偵のための事件がJpegブログ画像.jpg   (可愛い装丁と評判です!)

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改めて、申し上げておきます。

『三人の名探偵のための事件』は、単にレオ・ブルースの本格ミステリーデビュー作であるのみならず、1930年代の本格黄金期に書かれた本格ミステリーの代表的作品でもあります。

その価値は、クリスティやカー、クロフツ、クイーン、ヴァン・ダインといった著名作家の名作群に劣るものではなく、本格ファンなら、ぜひ手許に1冊常備したい歴史的傑作だ、といっても過言ではないでしょう。

場所は、典型的なカントリーハウス。

お題は、密室殺人。

そして、名だたる名探偵三人(別名で出てきますが、読み始めれば、すぐに「ああ、あの探偵かw」と分かります)による、華麗な推理合戦。

 

ね、面白そうでしょ!?

まあ、読んでみてください。

ぶっちゃけ、期待以上です。そこは自信をもっておすすめします!

 

まだ、本格ミステリーの沃野が荒らし尽されていなかった(いまだアイディアとトリックに手付かずの領域が多々あった)時期の、おおらかで稚気に富んだ作風は、「これぞ本物」と思わず唸ってしまうような、パズラーならではの醍醐味を読者に与えてくれます。

とにかく、ぜひ手にとっていただき、「本物の本格の面白さ」をぞんぶんに満喫していただければ、と思います。

そして、合わせて巻末の真田啓介さんによる至高の解説を読めば、レオ・ブルースという作家の重要性と、その寄って立つ作家性、本作の位置づけが手に取るようにわかるかと。

 

あと、今回、小林さんが頑張って、旧訳全体にかなり手を入れられました! 不肖わたくしめも含め、数人がかりで原文に立ち戻って詳細に検討のうえ、結構な部分をいじってあります。

というわけで、旧版の単行本をお持ちの方も、このさい、ぜひご購入いただければ幸いです!

 

お楽しみに!(編集Y)

 

 

 

 

2017年9月 9日 23:22 | | コメント(0)

まず最初に。
本作の主人公ジャック・カートランドは、竹書房さんの〈シグマ・フォース〉シリーズ『ギルドの系譜』にも、ちょい役ではありますが、登場しております。
〈シグマ・フォース〉シリーズを愛読されている皆様! ぜひ、こちらにも手を伸ばしていただければ幸いです!

 

ロリンズは、弊社でご紹介してきたノンシリーズの作品群において、極地、地底世界、アマゾンの密林など、毎回デイヴィッド・アッテンボローばりのフットワークの軽さで、厳しい自然の限界状況――いわゆる「秘境」での探検・冒険劇を扱ってきました。

 

今回の舞台は、深海。
まさに、ザ・秘境オブ秘境ですね。

日本でも、邦人研究者によるダイオウイカ撮影成功というビッグニュース以降、テレビの特別番組や、科学博物館での「深海」展、「へんないきもの」本などを通じて、一般の人びとのあいだで急速に深海への関心が高まっているかのように思えます。

 

  ディープ上小ブログ.jpg

 

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あらすじはこんな感じです。

 

新世紀最初の日食。世界中の人びとが黒い太陽から放たれるフレアに見とれていたそのとき、巨大地震が太平洋全域を襲う。

中部太平洋で沈没船調査をしていたジャックのもとには米海軍からの救援要請が届いた。

米大統領を乗せたエアフォース・ワンが太平洋上空で姿を消したのだ。軍に遺恨のあるジャックは渋りながらも捜索に乗り出す。一方そのころ人類学者のカレンは、与那国島沖に沈むという〈ドラゴン〉と呼ばれる遺跡に向かっていた。そこで彼女は地震で隆起した古代都市を目にして......。

 

本作は、太平洋沿岸域での巨大地震勃発から話が始まりますが、本書が本国で刊行されたのは2000年でして、2011年より10年以上も前に書かれた物語なんですね。

前半、ヒーローとヒロインは、それぞれ別の場所で調査にあたります。
一つは、〈バミューダ・トライアングル〉から見て地球の裏側にあたる〈ドラゴン・トライアングル〉海域で、大統領専用機エアフォース・ワンが墜落、その捜索にジャック船長率いる海洋探索船〈ディープ・ファゾム〉が駆り出されるという流れ。
もう一つは、海底地震の影響で突如、与那国島沖に浮上した古代遺跡を、女性人類学者カレンが友人の日本人コンピュータ研究者ミユキと極秘調査する流れ。

 

やがて、〈ドラゴン・トライアングル〉の海底にそびえ立つ謎の巨大石柱と、与那国島の遺跡の双方から、共通の古代文字が発見されるに至って、いよいよ二つのチームは合流することに。ここから、ロリンズ印の大冒険活劇が、今回も加速していきます。

 

あとはまあ、とにかく読んで下さい。
いやー、やっぱりめちゃくちゃ面白いですよ、ロリンズ。

 

大地震、深海探検、巨大生物、未知の遺跡、超古代文字(わかる)、
→ 天変地異、核戦争勃発(えっ?)
→ 地球滅亡の危機(えっ?ええっ?)。

 

ロリンズらしい大風呂敷の広げ方は相変わらずですが、今回は、けっこうマジで大変なカタストロフィに発展。いつものように主人公が水際で何とかするのかと思いきや、なんだかどんどんひどい感じで事態が悪化していきます。
おいおい、どうするのこれ??
さすがにこの風呂敷閉じるのはロリンズにしても難しいんじゃ?
......と思わせておいての、まさかの大ネタ炸裂! 
個人的には、思い切りしてやられました。うわああ、そうきたか、と。

 

巨匠ロリンズが魅せるストーリーテリングの妙。
ぜひご堪能ください!!

 

---

 

なお、本書で登場する与那国島海底地形は、1986年に発見された実在する有名なスポットで、ダイビングのメッカとしても知られています。現在でも人工遺物なのか、それとも自然地形なのかという論争が続いており、そのうち海底遺跡説を唱えている代表的研究者が、1992年から実地調査にあたった、琉球大学理学部教授(当時、現名誉教授)の木村政昭さん(海洋地質学、地震学)です。
本書の78頁でも、

 

〈沖縄のドラゴン〉は一九九一年、琉球大学の地質学教授、マサアキ・キムラによって、与那国島沖合で発見された一対の水中ピラミッドである。キムラ教授はこのピラミッドを、中央アメリカ、古代マヤ遺跡で発見されたものと比較している。

 

という形でしっかり記述されています。ちなみに今回、文庫の装丁には実際の与那国海底地形の写真を使用してみました。なかなか雰囲気が出ているのではないでしょうか。


弊社では、もう1冊(最後の1冊ですが)、ロリンズのノンシリーズ作品『Excavation』の版権を獲得しております。

こちらも(出し惜しみせず)来年くらいにお届けできれば、と考えておりますので、よろしくお願いいたします。(編集Y) 

2017年7月31日 16:15 | | コメント(0)

またまた更新が大幅に遅れてすみません・・・(まあ別にいつするとは決めてないのですが)。

いくらこちらから頼んでも、担当編集が面倒くさがってブログを書いてくれず・・・でも、自分もスワガー・サーガ特設サイトの記事で、さんざんアップを遅延させて宣伝部に怒られてるので、ぜんぜん人のことがいえない・・・。

以下、編集実務をお願いした元同僚I氏による紹介をお楽しみください!

 

6月の新刊、クライブ・カッスラー&ジャスティン・スコットの『大諜報』(上・下)、もう読んでもらえましたか? 探偵アイザック・ベルの活躍を描く活劇シリーズの第3弾の登場です!

大諜報ブログ小.jpg

 

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20世紀初頭を舞台にする本シリーズ。
一種の〈時代小説〉で、海洋冒険小説作家クライブ・カッスラーからすれば異色と言ってもいいシリーズですが、本国では毎年新作が発表される人気シリーズとなっています(これまでにすでに10作)。
粋なスーツと帽子、優美なロングドレスとカクテルの世界を、カッスラー印の高速マシンが走り抜ける......同時代のフランスの作曲家にならって言えば、この「優雅で機敏なフォックストロット」とでも形容すべき趣向こそ本シリーズの魅力です。

さて、フォックストロットと言えば(って、こちらで勝手に言っただけですが)、本作にはみなさんご存じの伝説的ダンサーがカメオ出演しています。
『大諜報』(原題:The Spy)というタイトルにふさわしい息詰まる諜報戦と追跡劇の合間に挟まれる素敵な間奏曲です。
どうかお楽しみのほど。


〈あらすじ〉
1908年3月。ワシントン海軍工廠で大砲開発の伝説的技術者ラングナーが爆死した。現場には遺書が残されており、当局は自殺と断定。デスクからは賄賂と思われる札束も発見された。ラングナーの美貌の娘ドロシーはこれに納得できず〈ヴァン・ドーン探偵社〉に調査を依頼、エース探偵ベルが動き出す。ワシントン、ニューヨーク、カムデン、フィラデルフィア......東海岸を縦横に駆けめぐり捜査を進めるベルの前に、やがて弩級戦艦開発をめぐる謀略が姿を現す。そしてベルの身に危険が迫る!
ラングナーとそれに続く人間の死の背後にちらつく謀略の影。そしてベルを狙うギャング。いったい弩級戦艦開発競争の裏側で何が企てられているのか? 日本、イギリス、フランス、ドイツの曲者たちときわどく渡り合いながら、ベルはその影を追ってサンフランシスコへ。一連の事件の糸を引く〈スパイ〉の正体へと肉薄する!

 

 

 

 

2017年6月28日 15:24 | | コメント(0)

★今回の記事では、作品の結末について言及しています。未読の方はくれぐれも閲覧をご遠慮いただき、必ず『拾った女』を読了してから目を通していただけると幸いです。

 

 

 


いよいよ、『拾った女』のラストについて。

こういうラストをもつ作品を担当するときいつも悩むのは、どこまで表紙まわりや事前宣伝で仕掛けの存在を明かしていいものか、ということでして。

そりゃあ、何も言わないのが、本当は一番なのです。

たとえ何も言わなくても、そういうことをよくやる作家だと周知されているだけで、もう警戒されてしまうくらいなんだから。もう、言わぬが花。沈黙は金。

読者だって、何も知らないほうがいいにきまってる。

でも一方で、そこが作品の大きな売りの一つなわけですから、送り出す側としては、何かしら触れないわけにもいかない。

今回の帯で若島正先生にいただいた推薦文は、そのあたりを読者の方にある程度「忖度」してもらえる、ギリギリのラインをうまく攻めて下さっていたのではないかと。

 

本書のラストに仕掛けられているフィニッシング・ストロークは、現代日本のミステリー・シーンにおいては、もはや古めかしいものかもしれません。

ただ、こういう仕掛けを成功させるために大切なのは、読者の虚を突くこと、予見させないこと、ジャンルを偽ることであるとするなら、本書は実にうまいスタンスで書かれた小説ではないかと思います。
そういうことをやる小説ではない、ノワールだ(もしくは恋愛譚だ)と思って読んでいた多くの皆様は、明後日の方向からぶっ飛ばされたような衝撃を存分に体験できたのではないでしょうか。

 

★類似作の存在

 

出版する前、実は編集者はまったく異なる予想を立てていました。

出した瞬間、四方八方から、「あの『××』とおんなじトリックじゃねえか!」と責め立てられるのではないかと思い込んでいたのです。

『××』とは、連載第一回の同時代リストにも名前のある作家による、かつて(少なくとも編集者が学生だった頃)は名作表やオールタイムベストにも結構載っていた某作品です。

しかも、小説としてノワールの体裁をとる点や、ラストで明かされる真相まで「まるで一緒」なので、さすがに突っ込まれても仕方ないのかな、と。

ただ、書かれた年は、『拾った女』のほうが2年も早く、影響関係は不明なまでも、こっちのほうが先行作であることはぜひ強調しておかないと、と思ったりしていました。

 

でも、蓋を開けてみれば、ネット書評やTwitterや読書メーターを見ても、ほとんどその件に関して言及されている方がいない。読書会にお邪魔した際も、どなたもご存じないとのこと(一名ご出席の某評論家先生を除く)。なんだか編集者が日々の本作りにかまけて時代に置いてきぼりにされているあいだに、あまり読まれない本になってしまっていたようなんですね。

まあ実際、いうほど面白い本じゃないんですけど、ぶっちゃけ(笑)。

 

むしろここで重要なのは、いま上で触れた某作品の著者が、そういう仕掛けばかり考えていた叙述トリック・プロパーのはしりみたいな作家であるのに対して、ウィルフォードのほうは、別段そればかりを狙っていた作家ではないということでしょう。

すなわち、本作はフィニッシング・ストローク「だけ」が目的の小説ではない。むしろこの大ネタは、テーマに見合った効果が期待されたから採用された、いうなれば「余録」みたいなものです。

あくまで本書は「ノワール」であり、ラストの技は、主人公の悲劇の真相を、最大限のインパクトをもって伝えるためにこそ供されている。そこの軽重を見誤ると、本書の本質をつかみそこねるのではないかと思います。

とはいえ、口コミの段階で「その手の小説らしいぞ」というバイアスはどうしてもかかってしまうわけで、実際には「綾辻行人さんや歌野晶午さんと比べるとどうも物足りなかった」とか言われちゃうんですけどね(笑)。正直、あんまりそことは比べないでほしいなあ。

 

あと、連載の一回目で触れたとおり、1950年代にはノワールの隆盛と平行して、ニューロティック・スリラーが盛んに書かれていました。このジャンルは異常心理を扱うだけに(主人公自体が問題を抱えていることも多い)、叙述トリックとの相性がすこぶる良く、(名前は挙げられませんが)いくつものどんでん返しもの、読者をひっかけるタイプの傑作ミステリーが生み出され、多くの作家がさらなる新奇なアイディアを競い合っていたのです。

『拾った女』や上記の類似作が、そういった出版状況下に執筆された作品である点は見逃せません。

 

 

(このあと、本当にネタのキモに触れざるを得ないので、未読の方がいらっしゃれば、ぜひ本のほうを先にお読みください)


 

2017年4月27日 11:26 | | コメント(0)

★ 一応、『拾った女』の終盤までの展開が記述に含まれますので、できれば、読了後読んでいただければ幸いです。

 

『拾った女』は、文芸としての分類上は、間違いなく「ノワール」に位置づけられる作品だと思いますが、最後まで読むと犯罪小説(クライム・ノヴェル)と呼ぶにはいろいろ語弊があるし(笑)、広義のミステリーだと捉えたとしても、しょうじき正体のよくわからない、ヌエのような小説であることはたしかです。

その「得体の知れなさ」の中核には、書いている本人自体にジャンル感がないこともあるでしょうし、主人公カップルへの感情移入をうながすような語り口でありながら、当の両名が何を考えているのかさっぱりわからないということもあるでしょう。

結局のところ、詩作や主流文学、美学にも関わっていたインテリの軍人が、「ペーパーバック」というエンタメの枠組みを利用して、書きたい小説を書いたというのが正しいところなのだと思います。

 

彼の第一作である『High Priest of California』(1953)も、パルプっぽい書きっぷりではありますが、クライム・ノヴェルかといわれると悩ましいところ。

ウィルフォード.jpg

中古車セールスマンの主人公ラッセルが、ダンスホールで知り合った女、アリスの部屋に押しかけ、「愛してる」とせまるのですが、彼女には精神疾患をわずらう年の離れた旦那がいました。ラッセルはこの夫を排除しようと、手を替え品を替え卑劣な策を弄します。この話のポイントは、犯罪スレスレの悪行三昧を積み重ねたあげく、ラストでようやく夫を精神病院送りにし、アリスに「あなたを愛してる」といわせたラッセルが、その時点でもはやアリスに対する興味の大半を喪っているあたりにあるのですが、この「壊れた」主人公像は、どこまでもノワール的だといえるでしょう。

「クライム・ノヴェルではないかもしれないが、純正のノワールである」第一作のありようは、そのまま本書『拾った女』にも引き継がれています。

 

★ノワール小説として

前にも述べたとおり、『拾った女』ほどに、諏訪部浩一さんの呈示する「戦後ノワール」の定義に当てはまる小説もありません。

一番のポイントは、本作において、どこか壊れた破滅型の主人公と、思いがけず「優しい」世界の対比という「逆転現象」が描かれている点でしょう。

多くの人は「ノワール」と聞くと、貧しさと世間のしがらみのなかで、もがき、苦しみながら、犯罪へと駆り立てられてゆく追い詰められたキャラクターを想起するかもしれません。しかし、それはむしろ戦前~戦中期に書かれた(撮られた)作品に顕著な傾向であって、戦後のノワールではむしろ、主人公の側が自らの心に闇を抱えているからこそ、世間からドロップアウトしてゆくわけです。

本作でも、主人公がもがき苦しんでいるというのは確かにそうなのですが、社会が彼に対して酷薄かというと、言うほどに厳しいようにはとても見えません。

主人公ハリーの周辺には、善良な人間がたくさんいて、誰もが彼のことを気にかけています。雇い主も、下宿の女将も、警官も、医師も、弁護士も、ハリーには明らかに好意的に接しています。過去の戦争を、彼は画家として安全にやり過ごしていますし、物語中に描き始めた絵にしても、誰に妨害されるでもなく普通に完成させています(ずっと後になって捨てられますが)。ヘレンにはちゃんと優秀な絵描きとして認められ、ボコボコにした相手には後から付きまとわれながらも結局見逃されます。明確にハリーの敵役としてでてくる兵隊やミセス・マシューズですら、話してみると実に物わかりがいい(笑)。後段の刑務所では、女は押し掛けてくるわ、世間的には時の人扱いだわ、ほとんどヒーローみたいな人気ぶりです。

この作品では、世間はむしろつねにハリーを受け入れよう、許そうとしている。少なくとも具体的な記述を読むかぎり、そうとしか読めない。

なのに、ハリーのほうがそれを素直に受け取らない。その理由はもちろんこの作品の大オチとも大いに関係があるわけですが、あのオチがあってなお、このお話のなかでやっていることが「おかしい」のは、どちらかといえば「世間」ではなく「ハリー」のほうなのでないか。

で、読者の側も、逆の現象(酷薄な世間と虐げられる主人公)を期待して読みすすめているから、だんだんとお腹の具合が悪いような、妙な気分になってくる(笑)。

一番、個人的にひっかかるのは、彼がせっかくありついた仕事を、何度となく簡単に辞めてしまう点ですね。いずれも雇い主はハリーのことを気に入っていて、べつだん辞めなくてもいいようなシチュエイションばかりなのに。死生観に関しても、恋愛観に関しても、ハリーというキャラクターには、どうにもとらえどころのない部分がある。善良ではあるが、どこかに壊れたものを抱えている。そして、この主人公の抱える「得体の知れなさ」が、物語を動かしていく動因になっている。

これぞ、ノワール。そう思いませんか?

ただ本作の場合、トンプスンやグーディスの描くキレッキレの主人公たちと違って、ハリーのキャラ造形に良識的で道徳的な側面が色濃く感じられるぶん、彼の「狂い」が「若干の違和感」「居心地の悪さ」という微温的なひっかかりにとどまっている。それは、ノワールとして本作が一般客に今ひとつアピールしない理由なのかもしれませんが、間違いなく作品の個性でもあり、魅力でもあるとも言えるのです。

 

ニューロティックな小説として

本作では、全編にわたって「精神分析」が関わってきます。

前に述べたとおり、戦後期はいよいよフロイト流の精神分析が人口に膾炙し、「人の隠された心」や「心と身体のかかわり」について関心が深まった時代でした。もともとキリスト教文化圏には「告解」の土壌があるぶん、精神分析医による施術を受け入れやすかったともいわれますが、ミステリーで「精神分析」モチーフが隆盛した背景としては、科学が大衆化する時代にあって、作家/読者の関心が次第に人間精神の機能的内面に向かっていったことも大きかったのでしょう。また、本格ミステリーなどでは、オカルトや心霊、超常現象といったモチーフが非科学的な子供だましのクリシェへと陳腐化してゆくなか、新味のある「得体の知れない謎めいた何か」として浮上してきた部分も大きいと思います。

ともあれ、「ノワール」という言葉に、「酒とカネと銃と犯罪」あたりを想起する人々にとって、本作でいきなり展開される長大な精神分析関連のイベントは、かなり唐突かつ妙ちきりんな内容に見えるのではないでしょうか。

最初の自殺の試みに失敗したあと、ヘレンは「あたしたちって先が全然、見通せない。必要なのは精神科のお医者さんの助けよ」(p99)と口にし、実際、二人は病院に足を運びます。第16章に入ると、留置所に入れられたハリーは、ふたたび精神分析医と対峙し、精神鑑定を延々とうけることになります。(「もちろん知ってるよ、病院だ、診察」p235)

しかし、こういった精神分析シーン、もしくは気軽に精神科医をあてにする登場人物の動きは、当時の小説全般において決して珍しいものではありませんでした。

ノワールにおいても、たとえば戦後ノワールの代表作ともいえるジム・トンプスン『おれの中の殺し屋』では、精神分析が後半、重要な役割を果たします。比較的、唐突に主人公ルー・フォードが精神病院に移送され、とある奇妙なプログラムを強制されることになるのですが、このいかにも突拍子もない感じは、『拾った女』のそれと結構よく似ています(個人的に、『おれの中の殺し屋』の小説構造やモチーフの出し方は、アンソニー・バージェスの『時計じかけのオレンジ』(1962)ともよく似ていると思いますが)。

前半戦で起きた様々な事象と、それを引き起こした主人公の内面を、後半に主人公が強要される精神分析によって客体化し、その結果として丸裸にされた主人公が何らかの変容(浄化?)を遂げる。この「煉獄めぐり」のような構造も、『おれの中の殺し屋』と『拾った女』の両作に通底した要素ではないかと思います。

 

★アート・ミステリーとして

本作は、芸術家くずれの男が、自らのアイデンティティを喪失し、ひとりの女との出逢いを通じて今一度の再生を図ろうとするも、結果として果たせずに終わる、やるせなく痛切な失敗の物語でもあります。

ここでも、周囲の人物はむしろ何かとハリーに便宜を図り、その腕前を褒めそやすのですが、ハリーのほうが、それを受け入れようとしません。彼自身のなかで(すでに物語が始まる前の段階で)何かが決定的に「折れて」いて、蝕まれた心は、最後まで自らの芸術的才能を認めることを拒絶しつづけるのです。

主人公の謎めいたキャラクターを語るうえでは、ヘレンの果たす役割以上に、実はこちら――芸術家としての挫折――のほうが重大な問題を孕んでいるともいえます。

作品中では、しきりに美術や芸術全般に関する言及が成されます。

彼がヘレンを描くときに彼女にとらせるポーズは、マネ「オランピア」のそれであり、他にもゴッホ、ゴーギャン、ジェイコブ・エプスタイン、パウル・クレーといったアーティストの名前が登場します(一箇所、眠るヘレンを前にしての幻視シーン(p186)で、ティツィアーノの名前が出てきますが、そもそも「オランピア」の構図はティツィアーノの「ウルビノのヴィーナス」に由来するもので、その祖型は「眠れるヴィーナス」と呼称されています)。

p107で注釈もなく出て来る引用句(「想像できないほどの昔から......」)は、オスカー・ワイルド『スフィンクス』冒頭から引いたものです(原書にも一切説明なく出て来るので、訳者さんと相談して、敢えて訳注などはつけませんでした)。

彼が留置所に収監されてからは、アートに関する話に過大なまでの記述が割かれます。抽象画家として身を立てようとしながら挫折するまでの過去回想や、抽象を志した人間であるがゆえに、「オランピア」を真似たヘレンの肖像画や、監房で描いた女性デッサンを卑下せざるを得ないあたりには、自らの限界を知った男の絶望がほの見えます。

ただ、どういう経緯でその絶望に至ったのかという一番肝心の部分が作中スルーされるので、我々はハリーという人物に近づけそうでいて近づけないわけです。

 

ウィルフォードは、自作で美術/芸術について言及することの多かった作家です。彼の代表作とも目される『炎に消えた名画(アート)』(1971)などは、まさに字義通りの「アート・ノワール」でした(しかも通例、美術ミステリーだと泰西名画の類が出てくるもんだと思うのですが、本作では、シュルレアリスムとダダイスムをつなぐ位置にあるというマニアックな幻の画家が登場しますw)。ウィルフォード自身、もともとは詩人志望でしたし、退役後にはフランスとペルーで、画家修行をしていたこともあります。彼にとってアートは常に大きな関心事であり、自作に取り込まずにはいられない題材でした。

ハリーというアカデミックな知性と審美眼を有する市井のフライ揚げ係は、こうして「ノワール」と「アート」を掛け合わせる不思議な営みのなかで生み出されたのでした。

 

★ハリーについてのよしなしごと

知的で紳士的でありながら、衝動的に離職、飲酒を繰り返し、周辺には思いがけないほど愛されるなか、自ら望んで堕ちてゆく。先に述べたとおり、ハリーは真の破滅型のキャラクターとして描かれており、それはヘレンと出会う「前から」そういう人間であったかのように思われます(その意味では、いかにもファム・ファタル譚めいた体裁をとりながら、本作は「まともな人間が女で身を持ち崩す」ファム・ファタル譚の定型からはかなりはずれた小説であると言わざるを得ません)。

彼につきまとう破滅衝動は、どこからもたらされたものなのか。当然、キャリアに挫折したことが彼にとって大きな心の傷となったと考えるのが自然でしょうが、そのへんについては肝心の部分がはっきりと語られない。そのため、ハリーという人間をどう捉えるかは、ひとえに、読者サイドの共感度にかかってくるわけです。

しかも本作は、ハリーの一人称で進行する物語であるにもかかわらず、彼の言動は必ずしも読者に対してフェアではない。

「ハリーに実は妻子がいた」という唐突な情報呈示(p258)に驚いた方は多かったかと思います(編集者ものけぞりました)。そうなんですね、彼は、ミステリー用語でいうところの、いわゆる「信頼できない語り部」なのです。

 

ハリーが必ずしも自らについて誠実に語っていないと考えるとき、気になってくるのが彼の女性観です。

たとえば、なぜ彼はかたくなに性交渉に関するカウンセリングを拒みつづけるのか(p266、p275)。本文中にはっきりとした記載はないので、結局は読み手が想像するしかないわけですが、ひとつのヒントとして、本書のなかで描かれる(ハリーの目から見た)ヘレンの描写には間違いなくある種の「偏り」があり、それは我々の心をざわつかせます。

 

「姿かたちは十代の娘のようだった」(p5)
「久しぶりだから。何年もしてないの」「あんたは小娘みたいだな」(p36)
「胸は小さく」「小さな乳首」(p41)
「もしそれがなければ、せいぜい十三歳くらいにしか見えなかっただろう」(p42)
「おしろいもつけないのか」「ええ口紅だけ」(p44)
「どちらかというと少女時代のあたしみたいだけど」(p66)
「実物よりずっと若いへレン」(p67)
「俺の目に映っているとおりのヘレン」(p68)

 

150cm、33歳、亭主持ちというexcuseの上で、徹底的に強調される処女性、少女性。しかも、ハリー本人が、このヘレン像が現実とは異なるある種の投影だと自覚しています。

なお、彼が捨ててきた実際の奥さんは「強く、知的で、有能」だとされ(p261)、彼は「これっぽっちも子どもを欲しいとは思わなかった」のに、彼女に「子供が出来た」のがひとつの理由で出奔したことになっています。

また、ハリーは、ヘレンを誘惑した労働者をボコボコにしていますし、ヘレンにキスをされた水兵に対しても、逆上して我を忘れて襲いかかっています。留置所では、自分に粉をかけてきたふしだらな女を、かなり有無を言わせず殴り倒しています。

もちろん、これらの言行を、単なる主人公の潔癖主義、モラリズム、ロマンティシズムがもたらしたものだと捉えても、この作品は普通に読めるはずです。それでも、主人公の「得体の知れなさ」を理解しようと、作中に隠されたヒントを探す読者にとっては、この「偏り」は気になるところかとも思うのです。

 

一方、ヘレンもまた死に取り憑かれた女であり、ハリー以上に破滅型の人間であることに間違いありません。ここでは深入りしませんが、彼女の母親の強烈なキャラクター、彼女が語るセルフヒストリー、不動産業者の旦那(年上でスーツ、品行方正)から逃げてきたエピソード(若干眉唾)などを考え合わせながら、なぜ彼女がここまで「こわれてしまった」のか、それが本当にアルコールだけに起因するものだったのかについて考えてみるのも一興でしょう。

 

本書には、他にもいろいろな読み方が存在するはずです。

ノワール版『同棲時代』――暗くせつない恋愛小説としてアプローチするのもよし(むしろ、それが一番普通の読み方なのかも)。

1950年代アメリカのパルプな風俗小説として読むもよし(店をハシゴしては食べて、呑んで、お金が尽きて、次が食べられるだけ働いて、食べて、呑んで、お金が尽きて......なんという貧乏たらしい無限ループw)。

ちなみに、編集者にとって、この話は、夜のサンフランシスコに始まり、雨のサンフランシスコで終わる、掛け値なしに悲惨でどこまでも闇色の、どうにも救いようのない「悲劇」だと思えてなりません。


何かそこまでの「悲劇」なのか、については最終回の記事で書きたいと思います。

 

それと、本作が「曲球(くせだま)」たる所以である、あのラスト2行についても。(編集Y)

 

2017年4月25日 23:09 | | コメント(0)

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