ハンターは、『黄昏の狙撃手』のアイディアを、ナスカーレースを見ながら「あと足りないのはドンパチだ!」といった感じで思いついたといいます。
前項で述べたクリティーク出身作家の陣取り理論を踏まえて、もう少しあけすけに言えば、「あとオレがやってないのは……そう、カーチェイスだ!」みたいなノリで書かれた作品かもしれません。
一方で、シネフィルとしてのハンターを考えたとき、本作はどのあたりの映画と通底する部分があるのか。
冒頭から編集者の脳裏をよぎったのは、クリント・イーストウッドの影でした。

老骨に鞭打って戦うヒーロー。車への愛着。ぼろぼろの被害女性。本作には、イーストウッド映画と共通するモチーフやエッセンスが散見されます。
とどめに上巻261ページで、「クリント・イーストウッド?」と問いかけられて、ボブが
「その男がそういう名であれば、わたしはその男ってことになるだろうね」
と答えるシーンが出てくるわけです。ああ我が意を得たり、やっぱりな、と。
その後も、真犯人の設定や中盤の水面下での対決、事件解決の端緒などは、『ダーティハリー』シリーズの某作品を容易に想起させますし、何より、本書のクライマックスは『ガントレット』の興奮そのまんまではないですか。

はたして執筆期間中に、ハンターが『グラン・トリノ』をどれくらい意識していたのかはタイミング的に微妙ですが、そもそも彼とイーストウッドには、作風・思想・政治信条上、一定の共通項があります。
ドグマに縛られない形での(本人なりに筋の通った)保守とリベラルのバランス。女性に対する(よくも悪くも)徹底された男根主義的把握。正義に対する絶対的確信と、作中の主人公に信じる正義を実行させるぶれのない姿勢。
何より、近づいてくる相手に対して決して警戒を緩めず、名声を求めず、孤独を愛し、孤立を恐れず、それでもいったん身内と認識した相手のためなら命を賭して闘うことも辞さない男としてのあり方が、ハンターとイーストウッドのヒーロー像では通底します。まさに「正しいアメリカ男性」の理想像がそこにはあるわけです。
ハンターが、老境にさしかかったボブというキャラクターをどう動かしてゆくかを考えるうえで、イーストウッドを想起するのは、むしろ当然のことではないかと思います。

イーストウッドに限らず、本作の背景には70年代風のガンアクション/カーアクションへのオマージュが散りばめられているといっていいでしょう。
旧三部作と若干テイストが異なるので困惑する向きもあるかもしれませんが、こぢんまりとまとまった軽量級のシルエットを見るかぎり、彼がそもそも本作では、旧三部作よりもっと気楽であっさりとしたアクションを目指しているのがよくわかります。
たしかにニッキは襲われますが、しょっぱなから「命に別状ない」「後遺症もない」とされていて、あまり導入に深刻味がありません。上巻で死ぬ人間自体ほとんどいないし、ラストの大仕掛けの犯罪も、スリリングというよりは、祝祭的、アトラクションめいた愉快さが勝っています。基本的に、さらっと読んで、楽しく本を閉じられる、そんな「佳品」をハンターは目指しています。
そして70年代~80年代初頭には、そんな気楽で軽やかな、ガンアクションとカーチェイスを主眼とする娯楽映画がわんさとあったのです。小規模予算で撮られたイーストウッドのアクション映画は、まさにその典型でした。

重厚なスナイパー・アクションとしての三部作を過度に意識してしまうと、どうしても小味、薄味といった感想はでてきてしまうと思います。ただ、ジャンルが違うと思って読んでいただければ、十分楽しめる作品だと思います。
重版分より、多大なご迷惑をおかけし、多くご指摘をいただいていた誤植の数々についても、概ね対応できたかと考えておりますので、ぜひこの機会にご購入いただければ幸いです。(編集Y)

2011年1月19日 17:24

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