弊社『おれの中の殺し屋』(ジム・トンプスン著)を原作とするマイケル・ウィンターボトム監督、ケイシー・アフレック主演の映画『キラー・インサイド・ミー』。もうご覧いただけましたか?

ヒューマントラストシネマ渋谷での最終上映がいよいよ5月27日(金)に迫ってまいりました。
関東在住で、まだご覧になっていない方はぜひ、この機会に足をお運びください。

逆に、各地ではこれから公開が始まる映画館も多数ありますので、ぜひお楽しみに!

(公開情報はこちらから)

ご覧になられたトンプスンファンの方はみなさんおっしゃると思いますが、
驚くほどに原作に忠実な映画化となっています。

初見の際、原作71ページの「ワンツーパンチ」が、そのまんまの唐突さで炸裂した瞬間、
ぶわっと、体内の血がわきたち、思わず前のめりになったもんでした……。

これだけ誠実に映画化されるというのは、トンプスンが欧米でも想像以上にちゃんと評価されていて、“下手にいじれない”くらいの扱いをされているのかなあ、と思ったり。

もちろん、あちこち変更点もあるのですが(とくにヒロインの立ち位置)、明確な意図をもったものなので、個人的には得心がいきました。

一方、原作未読の方にとっては、まずは映画から入っていただいて、そののち小説のほうに手を延ばしていただけるととってもうれしいです。

トンプスンは「ノワール」というジャンルを体現する作家ではありますが、本作にかぎって平たくいえば、
“ハードボイルドタッチでサイコものをやってる”みたいな感じでしょうか。
近頃はやりの、『デクスター』とか、『JOKER』とか、『悪の教典』とか、
そういった歪んだピカレスクものの源流でもあります。

いかにもな一人称と、描かれる凄絶な内容の“ギャップ”は強烈で、いま読んでも新鮮です。
映画版でも、この魅力的な違和感を、50年代風の映像・音楽を巧みに用いてしっかり再現しています。

終盤の妙な展開を不思議に思う方も多いかもしれませんが、ちょうど同じころにブームになっていたニューロティック・スリラーとの影響関係も考慮すべきでしょう。

(以下ネタバレふくみます)


あまりどなたも指摘されないのですが、個人的に本作の物語構造は、その十年後に書かれたバージェスの『時計じかけのオレンジ』ととてもよく似ていると思っていて、両者の影響関係はさておき、スタンリー・キューブリックがトンプスン(とくに本作)を高く評価していたのはじつに首肯できる気がします。

闊歩する悪、突発的な暴力衝動といったメインモチーフ。
印象的なホームレスの登場や、病院の描写といった細部。
それ以上に、いったん官憲によって自らの「悪」と強制的に直面させられながら、結果的にはその行為によってむしろ「浄化」されたかのように、再びもともとの本性を純化させて現世に舞いもどる、日本人にとってはキッカイな終盤の展開こそが、最大の共通点だと思うんですよね。

編集者は個人的に、この手の作品を「地獄めぐり小説/映画」と名づけておりまして、『ジェイコブズ・ラダー』やら、『トレインスポッティング』やら、いろいろ含めて、一連の作品史が編めると考えているのですが、そのへんは長くなるので、やめておきます。

ただ、今回の『キラー・インサイド・ミー』における印象的なマーラー歌曲の使用(朗読に歌曲を合わせるとか、あまりに掟破りな気もしますが)や、映像化されたスライドショーのシーンに、ふたたび『時計じかけのオレンジ』を想起しつつ、幻に終わった(そして近年発掘された)トンプスン‐キューブリックのコラボ映画“Lunatic at Large”に思いをはせたのでした……。(編集Y)

2011年5月20日 16:50

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