2014年6月アーカイブ

 

もう皆様、ロバート・ブロック『予期せぬ結末3 ハリウッドの恐怖』はお読みいただけたでしょうか?

今回も、ボーモントに引き続き、編集者による簡単な解題をご紹介しておきたいと思います。ネタばらしはしない方向でまとめてありますが、予備知識なしで挑みたい、という方は、ぜひ先に本のほうをお読みいただければと思います。というわけで、まずは、前半の6本から(後半はまた追ってアップいたします)。

 

 

殺人演技理論 Method for Murder  (初出 Fury, Jul 1962)

 

 ミステリー作家が、自作に登場する絞殺魔が現実化して書斎に現れると主張。それを聞かされた作家の妻は......。短い尺に巧みに仕掛けを押し込んだうえ、きれいに落としてみせる職人ブロックの面目躍如といっていいミステリー短篇です。

 本作のアイディアの根幹を成す「スタニスラフスキー・システム/メソッド」は、演劇や映画に関わる人なら誰しも知っている有名な演技理論。もともとロシアの演劇人だったスタニスラフスキーが提唱し、それをアドラーやストラスバーグといった継承者がアメリカで広めていったものです。

 一般的なイメージとしては、デ・ニーロやアル・パチーノあたりがメソッド・アクターの典型でしょうか。極めて大雑把にいうと、徹底して研究を重ねて役になりきること、自身の経験から演技を自然な形で引き出してくること、リアリティと即興性を大切にすること、それらを独特の訓練法によって目指すものだと考えていただければ、本作におけるネタの意味合いはわかっていただけるかと。

 なお某登場人物がメソッド俳優と「小馬鹿にされる」というシーンが出てきますが、ちょうど50年代は、マーロン・ブランドやジェームズ・ディーンの活躍によってメソッド・アクトが衝撃を与えると同時に、理論化されたメソッドに従う俳優をハンフリー・ボガードのように嫌う人も多く、毀誉褒貶の激しい時期でした。この登場人物が見せる鬱屈と反発心は、アメリカ人なら誰でもわかる「ネタ」だったんですね。

 井上さんの前口上にもあるとおり、本作は英国のアミカス・プロによるオムニバス映画『怪奇!血のしたたる家』(フレディ・フランシス監督、1971)の一挿話として映像化されています。四本立ての、残りの三本は「蝋人形館」(1939)と「子供にはお菓子を」(1947)、それとこのあと出てくる「マント」(1939)です。

 

 

奇術師 That Old Black Magic (初出 Mike Shayne Mystery Magazine, Sep 1958)

 

 本作は、天才マジシャン、ハーロウ・ブラックにまつわる謎めいた事件の顛末を回想する、本邦初訳の傑作ミステリー。ネタにはあえて深入りしませんが、古典としての風格は充分。思った以上にちゃんとミステリーしていて、さすがはブロックと感心させられます。原題は、愛の呪縛にかかることをあらわす向こうの言い回しで、スタンダード・ナンバーの名曲のタイトルにもあるものです。

 ブロック自身、奇術師ものでは「魔法使いの弟子」(49)を書いていますし、『渦巻く妖術』(33)のような、30~40年代に何本かあったマジシャンの出てくるミステリー映画との関連も気になるところ。そういや1955年には、バリンジャーの『歯と爪』なんかもでてますね。考えてみると、なんとなくいろいろと似ているところもあるような、ないような。

 実は私事ながら、編集者は学生マジックの出身者でして、かつてステージなんぞに立っていた過去があります。ただの助手としてではありましたが、四玉の演技で泡坂妻夫先生から賞状を頂いたのは忘れがたい思い出です。演者の立場からすると、作中に登場する「魔人ドラキュラ」に材をとったルーティーン(演技の手順)は実によく出来ていて、実際に想定されているトリックと演出がリアル。すぐにでも舞台にかけられそうに思える仕上がりです。

 本書に登場するマジシャンも、ハーロウ・ブラック以外、すべて実在する伝説のスターたちです(ちなみにチャン・リン・スーは20世紀初頭に活躍した奇術師ですが、実際は白人で、しかも最期は銃弾受け止め術に失敗して死んでしまうんですよ)。本書の舞台となる50年代のショー・ビジネス界は、綺羅星のごとき天才マジシャンたちであふれ、まさに百花繚乱の状態でした。サーストンの弟子筋のフレッド・キーティングは、俳優としても活躍した変わり種。ハリー・ブラックストーンやカーディーニも当時まだ現役バリバリで、鳩出しの若き天才チャニング・ポロックもすでに活躍していました。そんな時代感覚を念頭に置いて、読んでいただければと思います。

 泡坂妻夫氏の『十一枚のとらんぷ』や『天井のとらんぷ』を例にあげるまでもなく、奇術ミステリーには傑作が多く、クレイトン・ロースンのグレート・マリーニものや、弊社刊のリチャード・マシスン『奇術師の密室』など、それこそ枚挙に暇がありません。映像だとコロンボの『魔術師の幻想』、最近では『奇術探偵ジョナサン・クリーク』が大興奮の本格パズラー・ドラマで出色でした。あと、『逆転裁判2』の逆転サーカスとか......この機会に合わせて、ぜひお楽しみください。

 

 

マント The Cloak  (初出 Unknown, May 1939)

 

 仮装パーティ用に舞台衣装店で入手した、古びた薄気味の悪いマント。ところがそれを身にまとうやいなや、男のまわりでは異変が相次いで......。『魔人ドラキュラ』の8年後に書かれた、吸血鬼もののパスティーシュ。ブラックでシニカルな笑いに満ちた、ブロックらしい作品です。

  冒頭の4ページ。お話が本題に入る前から、読者は作品世界にひきこまれます。

 そこで描かれる、本作の主人公ヘンダースンの人物像が実に面白い。なにかと感受性豊かな詩的妄想をふくらませつつも、それを自ら「くだらない」の一言で断ち切って、現実に回帰するという思考ルーティンをたどっている人物。ポエティックで懐古的で夢想的でロマン主義的な感性と、現実的で懐疑的で端的でモダンな感性のせめぎ合い。いわば彼は、恒常的に物語的虚構と即物的現実のはざまを往来している人物といっていい。あるいは、迷信と闇を「おそれ崇める」感性と、それを「切り捨てて笑いのめす」感性の双方を持つ存在ともいえます。

 これほど、本作の主人公にふさわしいキャラクターもいない。そう思うわけです。

 彼はこの物語の中で、やがて恐怖と滑稽味の相半ばする超常的な体験をすることになります。前半の展開はブラッドベリ風、後半の次第に躁っぽくエスカレートする様はダール風といえなくもない。このシリーズの読者であれば、オチのネタは前巻のボーモントの某作を想起されるかもしれません。ただここで重要なのは、非日常の浸蝕にさらされ、それをどこか第三者的視点で笑いに転化してゆく物語において、主人公が生来的に異界への扉を開く「鍵」を手にした人物だったということでしょう。

 一個人の思考の暴走と恐怖の堆積が、いつしか世界の真実をも塗り替えてゆく。その内在的なシステムを踏襲しているという意味で、本作はブロックのなかでも、ブラックウッドの作風に近接した作品といえるのではないかと思います。

 なお、前述のとおり、本作は英国のアミカス・プロによるオムニバス映画『怪奇!血のしたたる家』のラスト・エピソードとして、多少の改変を加えて映像化されています。

 

 

プロットが肝心  The Plot Is The Thing (初出 F & SF, Jul 1966)

 

 ここまでの3本も「俳優・芸能」にかかわりのある作品でしたが、いよいよ「映画」それ自体をテーマにとる短篇が登場します。映画好きでTVばかり見ている一人暮らしのペギーは、部屋に押し入ってきた人々に連れ去られ、「神経障害」と判断されてロボトミー手術を受けることに。平静な心を取り戻したかに見えたペギーでしたが、現実はいつしか映画それ自体に浸蝕されて......。

 「マント」同様、強制的に異界の門をくぐるはめになるヒロイン。ヒキニートってだけで、はいロボトミーとか、どんだけ怖い世界なんでしょう(笑)。

 脳にぶっすりというのはブロックお得意の展開。その容赦のなさには震撼とさせられますが、40年代から50年代にかけて、ロボトミー(前頭葉切除手術)はかなり一般的な施術として行われていました。本作が書かれた60年代のアメリカでは既に薬物治療が一般化し、ロボトミーが廃れていたのも確かだとはいえ、たとえば『カッコーの巣の上で』(1975)の舞台設定が1963年となっていることからもわかるとおり、ロボトミーは当時も「現役」の手術だったわけです(ロボトミーに関しては、ジャック・エル=ハイ『ロボトミスト』が、通念を覆すめちゃくちゃ面白い評伝になっているのでぜひご一読を)。

 この文脈を理解していると、本書の111ページに出てくる「ちょっぴり狂ってはいるけれど、みんな腕のいいドクターだし、ひたむきな科学者だもの。良かれと思ってやっているのだ」というペギーのマッド・ドクター評がぴんと来るわけですね。なお、名前のあがっているライオネル・アトウィルとジョージ・ズッコというのは、アメリカ人なら誰でも知っている30年代~40年代のマッド・ドクター俳優で、コリン・クライブを含めて『Hollywood's Maddest Doctors』という伝記本が本国で出ているくらいです。同じく、バジル・ラスボーンは一般的にホームズ俳優としてつとに有名ですが、フランケンシュタイン(の息子)役などもやっており、『悪魔の生体実験』では、昏睡状態の妻を治すために誘拐してきた犠牲者の脳みそをかっさばきまくる殺人医師を怪演しております。

 後半、物語がどうなっていくかについては、あえて立ち入りません。ただ、現実世界とリンクしていたはずの精神世界が、いつしか「映画」の文法に支配されてゆく過程を、「ディゾルブ」「モンタージュ」「フェイドアウト」といった映画の場面転換を表す用語を使用することで、さくっと表現してしまうあたり、ブロックの類まれなる才能が表れていると思います。

 

 

クローゼットに骸骨 Skeleton in My Closet  (初出 Dime Mystery Magazine, Nov 1946)

 

 こちらも本邦初訳の一篇。これだけの完成度の作品に今まで邦訳がなかったなんて、信じられない思いです。でもどうやら、本国アメリカでもDime Mystery Magazineの電子版バラ売りが出るまでは、一度も短篇集には収録されたことがなかった模様。まさに、幻の逸品です。

 内容は、財産家の妻を殺害し、別の若い女性に取り入ろうとする犯人の計画を描く、ブロックお得意の精神医学ものの倒叙ミステリー。ネタそのものには言及しませんが、記憶ではP.D.ジェイムズに似たようなトリックを用いた小説がありました。また、夫と妻がそれぞれ抱えるとある「属性」に関して、結構まじめに伏線がはりめぐらせてあることにもご注目ください。

 原題のSkeleton in my closet というのは、英語のイデオムで「どうしても人には明かせない秘密や過去の記憶」をさす言い回しで、被害者である妻が心に抱える秘密と、夫による殺害方法がかけてあるわけですね。

 読みどころはなんといっても、妻殺しを実行に移す主人公ハリーの、笑えるろくでなしっぷりでしょう。とにかく、自分本位で短絡的。自信家で幼稚で、そのうえサディスト。全体にオフビートな感じでお話が進む中、139ページから142ページまで延々と続く殺害シーンはまさに凄惨のひと言です。編集者など、『ひぐらしのなく頃に』の「棺桶の刑」を思い出して、ぞっとしてしまいました。

 ちなみに、ブロックには「The Skelton in the closet」(1943)という短篇も別途あって、とてもまぎらわしいのですが、こちらには「骸骨狂想曲」の邦題で間羊太郎(式貴士)さんの訳が存在し、先般「ミステリマガジン」に再録されました(こちらはクローゼットの中に叔父さんの骸骨が入っていて酒盛りをしております)。

 

 

殺人万華鏡  The Deadliest Art  (初出 Best Seller Mystery Magazine, Nov 1958)

 

 ショートショート・ミステリー三本立てのお得用パックです。特に一本目は「生きている腕輪」のタイトルで、何度かアンソロジーに掲載されている有名作ですが、こうやって三本まとめて収録されるのは雑誌掲載以来。いかにも「ヒッチコック劇場」ふうの小ネタをぜひお楽しみください。

 やはり、エラリー・クイーンが愛したというだけあって、第一話の出来が素晴らしい。ワンアイディアに終わらず、しっかりエンディングにもうひとネタ絡ませてきているのはさすがです。

 第二話は、阿刀田高のショートショートあたりにでてきそうなお話。実際に本作に登場する「ブツ」をつくるには、一ヶ月以上「なめす」時間が必要なので、実現可能性は低そうですけど、中国では処刑した倭寇の頭領を用いてガチで「これ」をつくった話が、故事として伝わっています。まあ、最終行のオチから逆算してつくられたお話なんだろうなあ、と推測。

 第三話は、某有名「異色短篇」と同工異曲の内容にも思えますが、ようするにこれも、173ページ最終行のダジャレを言いたいがための、地口落ちみたいなお話なんですね。

 また確証はありませんが、時期的なことを考えると、ちょうど1957年11月にエド・ゲインの悪魔の所業が明らかになり、大変なセンセーションを巻き起こしています。ブロックの『サイコ』に登場するノーマン・ベイツのキャラクターがエド・ゲインにインスパイアされているのは、よく知られたお話。とすれば、この事件が、第二話、第三話の発想源にもなっている可能性は無視できないところでしょう。

2014年6月28日 13:12 | | コメント(0)

いつもは、弊社出版物の話題しか基本、記事にしないようにしているのですが、

ちょうど、明日、6月10日(火)19:00から、渋谷のオーディトリウム渋谷で、

「ソヴィエト・フィルム・クラシックス」の一環で「スタフ王の野蛮な狩り」の上映が

行われるので、頼まれてもいないのにご紹介をば。

かんじんのブロックの作品紹介は、木曜以降、若干暇になってから・・・。

 

「スタフ王の野蛮な狩り」。皆さんご存じでしょうか? 

1979年のソビエト映画、監督はヴァレーリー・ルビンチク。

国内盤のBD、DVDは存在せず、英語字幕の入っているロシア盤DVDも馬鹿高くて、とても手がでません。

ただ、しょっちゅう名画座でかかる映画で(去年はオーディトリウムの下のシネマヴェーラでやっていた)、かつてはNHKでやったこともあるようなので、ご覧になった方も多いかもしれません。

 

もし、未見の方がいらっしゃったら、ぜひこの機会をお見逃しありませんよう。

ジャンルとしてはホラー映画に分類されるもしれませんが、

ミステリーの愛好家の皆様にこそ、ぜひご覧いただきたい名画。

「隠れた珍品」とか「幻の佳作」とか、そういうレベルを超えた、

幻想ミステリー映画の金字塔、それが「スタフ王の野蛮な狩り」なのです。

 

劈頭、雷雨の中、旅人が原野を歩いてきます。

雷光に照らしだされる荒涼館。

不気味な召使と胡散臭い執事。

まさにロジャー・コーマンのポーシリーズを彷彿させる世界です。

腺病質な美しき女主人は、狂気と正気のはざまで彷徨い、呪われた血の運命に怯え、

伝説の狂王スタフ王と眷属たちの襲来を待ち続けています。

夜のしじまに響き渡る小人の足音。とどろく幽霊騎士団の蹄音。

少壮の民俗学者は、屋敷に充満するスタフ王伝説の恐怖を解明しようとしますが・・・。

 

ね、面白そうでしょう?

前半に張り詰めた、紛れもない恐怖の感触は、どこまでも耽美的で神経症的。

今なお、人々を支配するフォルクロアの魔力を十全に表現した

「現代のゴシック」として、生々しい恐怖感覚にわれわれをいざないます。

しかし、本作の本領は、そのあと。

とある大きな転回点を迎えたのちに訪れる、「理性」の復権こそが、

この作品を特別なものにしているのです。

幻想を打破する理性の光。そして、再び垂れ込める始原的な恐怖の闇。

これはホラーなのか。ミステリーなのか。

両者がせめぎあうなか、物語は先読み不能のエンディングへと

なだれ込んでいきます。

 

横溝正史作品の好きな方、島田荘司氏の本格理論に共感する方。

そんな方にこそ、ぜひおすすめしたい作品です。(編集Y)

 

2014年6月 9日 13:00 | | コメント(0)

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