2014年7月アーカイブ

 で、遅くなって本当に申し訳ありません。

今月の新刊のご紹介です。

 

ジャック・ケッチャムと、リチャード・レイモンエドワード・リーの仲良し三人組が、同一テーマにもとづいて競作した『狙われた女』。ただいま好評発売中です!

 

(そういえば、ここで告知をしておりませんでしたが、ケッチャム関連の「扶桑社ミステリー座談会」第三弾がすでにWeb上で公開されておりますので、右上の「扶桑社海外文庫特集」のバナーをクリックして、合わせて御覧ください。

書店発でヒット作が生まれるまでの経緯が、ケッチャム命の女性販売員の口から語られていて、じつに面白い記録になっていると思います。)

 

狙われた小画像.png  

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ジャック・ケッチャムは、『隣の家の少女』『オフシーズン』の作家として、このブログの読者ならどなたもご存じのことでしょう。

リチャード・レイモンは、このところずっと出していませんでしたが、扶桑社ミステリーを代表する、あの超ド級傑作変態ホラー『殺戮の「野獣館」』および、『逆襲の「野獣館」』の著者だといえば、皆さんご記憶でしょうか?

エドワード・リーは、ふたりのあとからホラー作家として成功した、扶桑社では初紹介となる作家さんです。

以下、担当の上司Mによる作品紹介をお届けします。個人的な感想はまた、そのうちアップするかもしれませんし、しないかもしれません・・・。(編集Y)

 

 

気だるい平日の午後。職場でいつもと変わらない時間を過ごす女性。だが、そんな彼女たちのもとに、銃を手にした暴漢がいきなり襲ってきた......。この冒頭部分を踏襲して三人の奇才がそれぞれ物語を完成させました。
若い頃の自分の不遇な経験への憤怒を作品にぶつけるジャック・ケッチャム、

映画級の大アクションを見せるリチャード・レイモン、

そして数々のパロディをストーリーに織り込むエドワード・リー。

アメリカの三大バイオレンス作家が
その持ち味を発揮して描き上げたスプラッター・ホラー。
扶桑社で定期的に刊行しているケッチャムとは違い、扶桑社では久々の紹介となるレイモン。そして扶桑社では初紹介となるリー。
各作品を通じてレイモンとリーのファンが増えるのは間違いない、待望の傑作アンソロジーです。(編集M)


 

2014年7月19日 06:13 | | コメント(0)

まずは、このところの既刊に関する、最近出ました書評について、

ご紹介しておきたいと思います。

 

まず、「ミステリマガジン」8月号では、若林踏さんが、ロバート・ブロック『予期せぬ結末3 ハリウッドの恐怖』をトップピックでとりあげ、「著者の多才ぶりを味わう一冊」として、ご紹介くださっています。

映像メディアと異色短篇の関わりや、ミステリー色の強い作品への言及など、とても嬉しい評価をいただきました。

同号では、古山裕樹さんがリチャード・ニーリィ『リッジウェイ家の女』をとりあげ、「四人の関係と、隠された秘密とが絡み合い、疑念と驚きに満ちたサスペンスに仕上がっている」「物語のクライマックスには、仕掛けられた起爆装置が次々と作動し、驚きの波が押し寄せる」とご紹介くださっています。

「本の雑誌」8月号では、酒井貞道さんが、同じく『リッジウェイ家の女』について、「練達の至芸を見せてくれる」「ファンは必読、サスペンス好きにも強くオススメしたい」と、たいへん好意的にご紹介くださっています。お三方とも、本当にありがとうございます!

ちなみに、その次に酒井さんが紹介されていたパトリック・クェンティン『女郎蜘蛛』(創元推理文庫)は、かつて弊社からクェンティンの『悪女パズル』(森泉玲子・訳)を出したあと、その次作として同じ翻訳者さんで出版を企画していたものの、訳者さんの急逝によって諦めた経緯のある本。こうやって新訳版が出て皆さんの手に届くのは、本当に嬉しいことです。

 

ちなみに、「ミステリマガジン」8月号では、北上次郎さんが「勝手に文庫解説」で、弊社のデイヴィット・マーティン『死にいたる愛』について、「吸血鬼小説の傑作」としてご紹介くださっています。ただ、もう弊社では在庫はありませんで、悔しいばかりでございます。

北上さんは同じ連載で、クレイグ・ホールデン『夜が終わる場所』や、シェリー・ルーベン 『炎の証言』など、すごい打率で弊社作品を取り上げてくださっているのに、のきなみ在庫切れで、ひたすら申し訳なくて・・・・・・。でも、本当にありがとうございます!

 

最後に、変わったところでは、NHK出版の語学テキスト「テレビでスペイン語」の8月号で、柳原孝敦さんが「現代作家の味わい方」というコーナーの第5回として、ギジェルモ・マルティネス『ルシアナ・Bの緩慢なる死』を、なんと4ページにわたってご紹介くださっています。作家像から、作品のありようまで、じつに懇切丁寧にひもといておられて、さすがとしかいいようがありません。(そういえば、この本が出た頃に、千街晶之さんが「週刊文春」で書いてくださった書評も、作品の本質を鷲掴みにするような凄い内容で、こころから感服した記憶があります)。

まさかの方角からの援護射撃をいただき、本当に嬉しいかぎりなのですが、残念ながら『ルシアナ・B』のほうも、弊社では社内在庫があまりありませんで・・・・・・。

 

ただ、上記の品切れ本はいずれも、手を尽くせば入手できないこともないかと思いますので、ぜひ皆様も、ご一読いただければ幸いに存じます。いずれ劣らぬ傑作ぞろいですので。

 

それから、ギジェルモ・マルティネスといえば、『オックスフォード連続殺人』の映画版が、2014年8月30日(土)の20:30から、AXNミステリーで放映されますので、ぜひふるってご視聴ください。

イライジャ・ウッドとジョン・ハートが主演をつとめる、なかなかのすぐれもので、監督は、あのアレックス・デ・ラ・イグレシアです。(編集Y)

2014年7月19日 04:41 | | コメント(0)

遅ればせながら、ロバート・ブロック『予期せぬ結末3 ハリウッドの恐怖』収録作の解題、その2をお送りいたします。

 

 

ハリウッドの恐怖 Terror Over Hollywood  (初出 Fantastic Universe, Jun 1957)

 

 いよいよ、ブロックの十八番、ハリウッドものの表題作。ブロック翻訳の第一人者、柿沼瑛子氏の新訳でお届けいたします。(本当は、同じくハリウッドものの「ソック・フィニッシュ」も収録したかったのですが、紙幅の都合と、権利上の問題があって、やむなく断念いたしました)
 ネタ自体は、比較的よくあるタイプのものかもしれませんが(個人的には『バイオニック・ジェミー』の某エピソードや、アイラ・レヴィンの某作が想起されます)、ハリウッドの内幕ものに、あえてこのネタを掛け合わせるところにこそブロックの創意があるといっていいでしょう。実際、ここで描かれているお話は「わざと誇張してフィクションにしてある」だけで、意外といいところをついているのかもしれません......なにせ著者自身、映画業界に深くコミットして、いろいろ知らずともいいことを知っていたわけですから。この物語を通じてブロックが本当に表したかったハリウッドの「闇」とは一体何なのかを、想像しながら読んでみるのも一興でしょう。
 本作は、アミカス・プロのオムニバス・ホラー映画『残酷の沼』(1967)の1エピソードとして映像化されています。「殺人演技理論」と「マント」が同プロの『怪奇!血のしたたる家』(1971)で映像化されている件については前項ですでに言及しましたが、アミカス・プロは、米国人二人がイギリスで立ち上げたプロダクションで、60年代から70年代にかけて印象的なホラー作品を次々と世に送り出したことで知られています。
 『がい骨』(1965)、『ザ・サイコパス』(1966)で、ブロックとすでに仕事をしていたアミカス・プロは、同じ英国のハマー・プロに対抗して、ブロック原作で幾本かのオムニバス・ホラーを製作しています。その第一弾が『残酷の沼』(「ハリウッドの恐怖」以外のラインナップは、「頭上の侏儒」「スタインウェイ氏」「ポー蒐集家」)、第二弾が『怪奇!血のしたたる家』というわけです。さらにアミカス・プロはもう一本、全作ブロック原作のオムニバス・ホラー『アサイラム 狂人病棟』(1972)(ラインナップは「凍れる恐怖」「The Weird Tailor」「ルーシーがいるから」「恐怖の粘土人形」)を製作しています。
 ちなみに余談ですが、『ザ・サイコパス』はおそらくなら、マリオ・バーヴァの創始したイタリアン・ジャッロの影響下に作られた作品とはいえ、イタリアに逆輸入されヒットを記録し、アルジェントやそのフォロワーに無視できない影響を与えました。出来は結構ゆるめの映画ではありますが、『サイコ』と『サスペリアPART2』を結ぶミッシング・リンクとして重要な作品といっていいでしょう。

(お詫び)205ページ3行目の「アンダーソン」は、「サンダーソン」の誤植でした。深くお詫び申しあげます。

 


「牧神の護符」 The Seal of the Satyr  (初出 Strange Stories, Jun 1939)

 

 ギリシャの地を訪れた少壮の考古学者ロジャー・タールキストは、地元の老人の案内で、森の奥深く隠されたいにしえの祭壇へと辿り着く。そこで護符を拾ったロジャーを襲う不思議な出来事とは? 
 本邦初訳のギリシャ神話に題材をとった幻想的な恐怖譚。1939年の雑誌掲載で、本書の収録作では「マント」と並ぶ古い作品ということになります。
ラヴクラフトとの交友を経て作家としてのスタートを切り、「修道院の饗宴」を嚆矢として、クトゥルー神話大系に属する幾多の短篇を執筆したブロックでしたが、37年以降、あまりクトゥルーものは書かなくなります。そんな彼がクトゥルーの神ならぬギリシャの半獣神を描いたのが本作(ちなみに、ブロックは1958年にも「The Thinking Cap」というギリシャものの中編を執筆しています)。
 古代ギリシャの牧神ときくと、やはり想起されるのはアーサー・マッケンの『パンの大神』ですが、基本あちらはロンドンを舞台に「邪なるもの」がほのめかされるだけです。ブロックのパンの大神は違いますよ。なんといっても、眷属・郎党あわせて、百鬼夜行の如くうじゃうじゃ出てきますから(笑)。古代神への畏怖の感覚は共通していても、ブロックのアプローチは、より視覚的で、ファンタスティック。西洋人が古代ギリシャという「異境」に対して抱いている「畏れ」と「憧憬」の相半ばする感覚を、絢爛たるヴィジュアル・イメージをもって描き出しています。
 そう、西洋人にとって、古代ギリシャは昔も今も特別な場所であり続けています。
 一神教のキリスト教世界に生きる彼らにとって、ギリシャ・ローマの多神教世界は、邪教世界であると同時に西洋知の始原でもあり、イマジネーションの源泉でもありました。ルネサンスにおけるネオ・プラトニズムの隆盛と古代美術礼賛、18世紀における「発掘の世紀」と新古典主義の勃興、19世紀の象徴主義とギリシャ回帰......。キリスト教的な世界観や文化観が行き詰まりを見せるとき、常に想起されたのはギリシャ・ローマの知と文化であり、そこに回帰することで新たな活力を生み出してきたのでした。西洋人にとって、常にギリシャは複雑な想いをもって憧れる聖地であり、そこをテーマとした作品にこめられた想いもまた、われわれ日本人が考えるよりずっと深いものなのです。
 本作をひもとく上では、西洋の偉大な芸術家たちが遺したギリシャの半獣半神のイメージが大きな助けになるはずです。とくにティツィアーノの「バッカスとアリアドネ」、ニコラ・プッサンの「パンの勝利」、ルーベンスの「バッカス祭」あたりは、聖邪の混淆した異教神の法悦的性格の祖型となるヴィジュアル・イメージであり、ぜひ画集などを参照なさっていただければと思います。

 


心変わり  Change of Heart  (初出 Arkham Sampler, Fall 1948)

 

 伊藤典夫先生に、「プロットが肝心」「殺人万華鏡」「ムーヴィー・ピープル」の初校ゲラをお送りしたら、「ぼくの訳した中に、他にもいいのがあるんだよ」とお勧めいただき、井上さん、植草さんと相談のうえ急きょ追加した一作。ブロックの中でもとくに叙情味の強い作品で、結果的にはラインナップの幅を広げる、素晴らしいアディションとなったのではないかと思っております。
 原題の「Change of Heart」が、オチと密接につながっているのは、読み終えた読者の方ならどなたもご納得されることでしょう。この手のダブル・ミーニングの言葉遊びは、訳出が難しく伝わりにくいかもしれませんが(邦題は主人公寄りですね)、ブロック作品のなかでも特に切れ味鋭いエンディングとなっています。
 ネタ自体は本書収録の別短篇とかぶるとはいえ、処理の仕方でここまで印象が変わるものかと、感心させられることしきり。部屋をうめつくす時計のかずかずは徹底的に擬人化され、一方、時計製造人とその孫はあたかも時計であるかのように描写されます。その対比こそが、いつしかせつない眩惑のひとときへとわれわれを導いてくれるのです(井上さんは、似たテイストの作品として、高橋葉介氏の某漫画を上げられていました)。
 ちなみに、この作品は『ヒッチコック劇場』で「Changing Heart」のタイトルで映像化がなされています。先にアミカス・プロによる同時期のオムニバス映画三本をご紹介いたしましたが、ブロックは『ヒッチコック劇場』に「魔法使いの弟子」「強い刺激」「ほくそ笑む場所」「心変わり」「ベッツィーは生きている」「治療」の6本、後継の1時間番組『ヒッチコック・サスペンス』に「最後の演技」「湖畔」「安息に戻る」「故郷を遠くはなれて」の4本、合わせて10本の原作を提供、その何本かは自ら脚本も担当しています(ほかの原作者の作品を、ブロックが脚色しているケースも結構あります)。
 個人的には、近年AXNミステリーで観た「故郷を遠くはなれて」(放映タイトルは「別世界の栄光」)が衝撃的な傑作でした。原作自体は、ポーの某短篇を焼き直した感の強い掌編なのですが、一時間枠相応にふくらませるにあたって、ブロック自身による極めて効果的な増補・改変が加えられ、ほとんど別物のような完成度に。精神科医役のレイ・ミランドも怪演。先読み不能の、手に汗握る異常心理ものに仕上がっています。
 「Changing Heart」の出来もなかなかのもののようですが、編集者はまだ観られていません。信頼できる海外サイトの評によれば、若干のマイナー・チェンジはありつつも、概ね原作どおりにドラマ化されているとのことでした。ぜひ実見してみたいものです。

 


弔花  Floral Tribute  (初出 Weird Tales, Jul 1949)

 

 墓地の裏手にある祖母の家。そこで幼いエドは祖母とふたりきりで暮らしていました。でも、さみしいことなんてありません。祖母のもとには夜ごと「友人たち」が遊びに来ていたからです......。
 ブロックの中でも、ひめやかな優しさと叙情性をたたえた、とびきり美しい一篇。田村美佐子さんの新訳でお届けいたします。
 本作では、ノスタルジーとなぐさめをもって、滅びの予感と死への傾斜が丹念に描かれます。
 井上さんが前口上で引用してくださった詩文は、今回底本にした短編集では割愛されていたのであえて訳出しなかったのですが、たしかに初出の「Weird Tales」を見ると、巻頭イラストの下にエピタフのように入れられています。「旧き血筋、友らことごとく相まみえる、ゆるぎなき場所あり――永遠に」
 ふだんのブロックなら、恐怖の対象としてどこまでもおぞましく扱ってみせる「死」と「怪異」。それを本作では、ある種の救済として、とことん前向きに描いてみせようとするのです。
 だから「弔花」の世界では、あらゆるものの価値が「反転」します。
 「マント」や「プロットが肝心」の主人公は、強制的に「異界」へと導かれ、言い知れぬ恐怖を体験させられましたが、本作のエドは反対に、慣れ親しんだ異界からつらく生きづらい「現実」へと強制的に連れ去られ、彩りのない孤独な生活を始めることを余儀なくされます。
 ほんらいの居場所を失ったエドは、新たな自分の居場所として軍隊を選びます。しかし、またも運命は強制力を発揮し、胸部に大きな傷を負った彼は、二年の入院のあと除隊させられることに。
 そしてついに、エドは懐かしい故郷に帰ってきます。彼のほんらいの居場所へ。
 彼の行動と物語の結末をどう解釈するかは、ある程度、読み手にゆだねられている部分もありそうです。お話の流れに沿って、ありのままに受け止めてもかまいませんし、ある種のリドル・ストーリーと考えてみてもいい。何度かいやなタイミングで強調される「胸のけが」についても、見逃せない部分があります。はたして、エドの怪我は本当に治っているのか? ここで描かれている世界は、本当にエドが認識しているとおりの世界なのか?
 一見ゆるぎなく見えるそれぞれの登場人物も、考えるほどにその立脚点をあやふやなものとし、物語もまたゆらぎのなかで、そのありようを変容させていきます。何が本当で何が幻想かは......結局、それぞれの認識の裏表に過ぎないのですから。

 


影にあたえし唇は  I Kiss Your Shadow   (初出 F & SF, Apr 1956)

 

 三週間前に事故で死んだはずの妹の「影」が枕元に現れたと告げる、その婚約者のジョー。彼は、腕を広げて誘いかける「影」にせがまれるまま口づけを交わしたと主張するのですが......。よくある心霊譚かと思わせて、終盤には「愛しき悪女」の物語へと昇華する、隠微で幻想的な一篇。
 ブロック短篇のなかでも、本国では意外とよく知られている作品のひとつです。というのも、スティーヴン・キングが本作のドラマ化作品を激賞していて、口コミでそれが伝わっているんですね。
 短篇小説と映像とのはざまで輝いた作家たちをご紹介する本シリーズに、いかにもふさわしいエピソードではないでしょうか。以下、少し長いですが、該当の箇所を引用したいと思います。

 

「その(引用者注:テレビ史上もっとも恐ろしい作品)栄誉にふさわしい作品として、私は忘れられかけた一話完結のドラマ・シリーズ《バス停留所》の最終回を推薦したい。(中略)ともあれ、最終回は超自然的な色合いが濃厚な傑作だった(ロバート・ブロックが自作の短篇「影にあたえし唇は」をみずから脚色)。以来、その不気味さと募りゆく恐怖をしのぐ作品にはテレビでもほかのメディアでも一度もお目にかかったことがない。」――スティーヴン・キング『死の舞踏』(安野玲訳)p448

 

 《バス停留所》というのは、劇作家ウィリアム・インジの同名作(およびその映画化作)を元に、バス停を往来する人々の人生を描いた、基本一話完結のアメリカの連作ドラマで、1961年から翌年まで全26話が放映されました。そのうち計8話はロバート・アルトマンが監督し、エミー賞にもノミネートされるなど本国では話題となったドラマですが、その最終話がなぜかこの「影にあたえし唇は」だったのです(なお、クレジットでは脚色は別の人物で、キングの説明とは若干矛盾します)。
 某動画サイトで確認したところ、たしかに濃厚で幻想的な一篇に仕上がっています。冒頭、交通事故のシーンから入って、裁判で婚約者が顛末を語る描写から過去回想へとつなげる好改変で、ドナの特異な支配的性格も婚約者の心の乱れもうまく描き出されています。とくに終盤の「影」の描写は絶品で、ドイツ表現主義を思わせるカメラワークが冴え渡っています。壁に映し出された巨大な影が、手を伸ばしてくるんですよ、手を。これは怖い。あと、ストレート・プレイ中心のドラマで、最終話だけがホラー寄りだったことも、キングの脳裏に本エピソードが焼き付いて離れなかった理由のひとつかもしれませんね。

 

 

ムーヴィー・ピープル  The Movie People   (初出 F & SF, Oct 1969)

 

 ラスト・エピソードは再びハリウッドもの。それもとびきり幻想的で心優しい彼の代表作で締めくくることにいたしましょう。ネタとしては「プロットが肝心」と"裏表"になるようなアイディアですが、名画座の埃っぽい闇、映しだされるモノクロのサイレント映画、それを客席から見守る老エキストラと、映画好きの夢と憧憬をかき立てるノスタルジックな道具立てによって、あっという間に読んでいるわれわれまで「作品世界に引き込まれて」しまいます。
 登場するサイレント映画やその出演者たちの大半が実在する名画、名優であることも、現実と幻影のあわいを往来する本作の味わいを、一段と深めています。手紙のなかで語られる、ダンスシーンについての忠告や食事のルールなども、なかなかに考えられていて感心します。
 ここで制作裏話。実はこの作品の編集作業では、かなりひやっとさせられました。
 いや、ゲラの戻りが遅すぎて、最後は危ない橋を渡ったとかそういう話ではなくて(まあ、渡ったは渡ったんですが)、とても大切なことを見落としていたんですね。
 本作の底本には、伊藤典夫さんの訳として唯一知られている「MEN'S CLUB」掲載のものを採用して、編集作業をスタートさせました。ところがゲラにしてから訳文と原文とを突き合わせてみたところ、なんとジューンからの手紙の後半部分が、2/3くらいまるまるカットされている。そこで、伊藤さん宛てに、加筆のほうよろしくお願いいたします、と書き添えてゲラをお送りしたわけです。そしたら、伊藤さんから連絡があって、「『S-Fマガジン』に後でのっけたほうだと、ちゃんと全部訳してあるはずなんだけど」とおっしゃる。
 はて面妖な。「S-Fマガジン」? 伊藤さんの訳文で? そんな話知らないぞ。
 あわてて調べてみたら、たしかに「S-Fマガジン」の1984年8月号に「ムーヴィー・ピープル」が載っている。しかし訳者名は鵜飼裕章になっています。ぴんと来てネットで検索したら、やはりありました、伊藤さんとこの名前を関連づけて上げているサイトが。おお、そういうことか。
 さっそく植草さんに鵜飼氏名義の「S-Fマガジン」掲載稿を送っていただき、「MEN'S CLUB」のそれと見比べたところ、手の同じ訳文であることは一目瞭然。それも、前者が後者をリファインした後の原稿であることは明らかでした。伊藤さんにうかがったところ、「何本かはその名前でやったけど、細かい経緯は覚えてないなあ。連続して載るとよくないとかあったのかもしれないけど、忘れちゃった。でも、間違いなくぼくの訳です」とのこと。あわてて、そちらを底本にてゲラを出し直し、伊藤さんに再送したという次第でした。いやあ、よかった、よかった。

 

 というわけで、長々とお付き合いいただきましたロバート・ブロック解題もここまで。
 ラストシーンで手をふるジミー・ロジャーズたちとともに、しばしのお別れを皆様に告げたいと思います。また遠くない未来、『予期せぬ結末』の世界でお会いできますことを祈りつつ。

 

 さあ、そして......次は、ケッチャムだ!!

2014年7月10日 17:56 | | コメント(0)

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