2014年10月アーカイブ

カッスラー・ファンお待ちかね!
〈アイザック・ベル〉シリーズ第2弾の発売です。
前作『大追跡』に引き続き、〈ヴァン・ドーン探偵社〉のアイザック・ベルが、列車と自動車を駆使して犯罪者を追い詰める、スリリングな大活劇となっています。

wrecker_mix.jpg


■オンライン書店で購入する
(上)amazonセブンネットショッピング楽天ブックサービスhonto


この『大破壊』の刊行を記念して、ただいま特設サイトを準備中です。
今年5月に来日したカッスラー氏へのインタビューを掲載する予定です。
楽しみにお待ちください!


さて、もう少し『大破壊』の中身について、いくらか私見を交えつつ紹介しましょう。
クライブ・カッスラーといえば「海洋冒険小説の大御所」ということになっています。
それはそのとおり。
しかしながら、この〈アイザック・ベル〉シリーズで主に活躍するのは、列車や自動車です。陸の乗り物です(船も出てはきますが)。そしてこのシリーズから明瞭に見通せる作家の(あるいはその作品の)最大の特質は、〈速度への憧憬〉とでも呼べそうなものです。
それは小説の冒頭近くで、直接アイザック・ベルの口から語られます。
ベルは、捜査の依頼主であるサザン・パシフィック鉄道の社長に初対面でこう言うのです。
「スピードは偉大です」
これは必ずしもクライアントへのおもねりではありません。通称"壊し屋"による度重なる破壊工作に激昂している経営者を宥めるためでもない。ベルはただ、鉄ちゃんよろしく列車の種類やその速度についての薀蓄を楽しげに披露しながら、こう続けます。
「いまやあなたの鉄道のおかげで、ドナー峠で餓え死にしかけても、わずか四時間でサンフランシスコの高級レストランまで行けます」
ここには、速度への単純素朴な憧憬があります。速度が切り拓くであろう、人生の楽天的な展望があります。
作家が作品の舞台を20世紀の初頭にしていることの意義の一つはここにあるでしょう。
クラシックカーのコレクターでもあるカッスラーの情熱はつねに考古学的であり、考古学者という人種の情熱は、つねに古代人の情熱への情熱なのです。伝説的なレーシングカー、グレイウルフに魅せられるスピード狂のアイザック・ベルがいて、そのベルの姿を魅せられたように書く作家がいる。
この依頼主との対話のあと、ベルは手練れの同僚たちとともに本格的な捜査に乗り出しますが、それにつれて"壊し屋"の破壊工作はますますエスカレートしていきます。科学技術がもたらす大きな災厄を目の当たりにし、ベルもまた危険に身を晒します。
それでもベルは、この憧憬と楽天的な展望をけっして手放さない。どこまでもふんばる。素朴な憧憬は、いわば狼の憧憬へと姿を変え、"壊し屋"を追い詰める。
それにはボストンの大銀行家の子息というベルの恵まれた出自がいくぶんは寄与しているでしょう。ベルという男は、生来の楽天家であり、自信家なのです。
でも、きっとそれだけではない。
なにせ、まさに「わずか四時間で」行けると語られたサンフランシスコには、ベルを待つ人がいて、楽天的な展望を体現しているのだから......。

というわけで、カッスラー号の快速に身を任せ、車窓から吹き込む時代の情熱を肌に感じれば、そこはもうエンタテインメントの只中です!(編集I)

2014年10月30日 15:06 | | コメント(0)

徹夜で声優ラジオ本の音源起こしをやりながら、ふだんは滞りがちのブログに現実逃避している編集Yです。

 

一昨日サントリーホールで、ミハイル・プレトニョフ指揮の東京フィルハーモニー交響楽団による、スクリャービンの交響曲第一番を聴いてきました。実演の機会が少ない楽曲を定期演奏会にかけてくれただけでも大感謝。演奏もなかなかの熱演だったかと思います。

なぜ、こんな話をしているかというと、昔この曲に関することで読んだエピソードが、ミステリー読みとして大変おもしろかったので、皆さんにもちょっとご紹介してみようかと思ったわけです。

 

アレクサンドル・スクリャービン(1872~1915)は、ロシアの作曲家で、チャイコフスキーよりは後の世代でラフマニノフと1歳違いの同世代。多数のピアノ曲のほか、5曲の交響曲をのこしています。

ぶっちゃけかなりの変人で、1900年以降、ニーチェ哲学に傾倒したうえ神智学にもドはまりし、後年は神秘主義的な独立独歩の作風を確立しました。色光ピアノなる、多色の照明を鍵盤で切り替えられる楽器を発明して、自作の交響曲で使おうとしたことでも有名です。彼の残した晩年の文章とか読んでると、いってることがすさまじすぎて、おつむがくらくらしてきますからね・・・・・・。

 

交響曲のなかでは、一般には、第四番の「法悦の詩」(法悦って訳してますが、実際の単語は「エクスタシー」で、かなりぶっ飛んだ内容の曲です)が有名かと思いますが、1900年に作られた第一番も、若書き扱いされてなかなか演奏機会に恵まれないわりに、後期ロマン派テイストの濃厚な楽しい楽曲です。

六楽章制の合唱・独唱付きというと、当然マーラーの二番、三番あたりを意識した楽曲であることは自明ですが、実際に聴くと、序奏の付け方にせよ、節回しにせよ、循環形式の使用にせよ、和声にせよ、とてもショーソンの交響曲に似ていて、フランスかぶれだったスクリャービンらしいなあ、というのが個人的な感想です。出来についても、少なくともハンス・ロットやフランツ・シュミットやカゼッラに演奏機会があるのなら、同じくらいは演奏されてしかるべき曲ではないかと。

 

で、ここからが本題なのですが、この曲、終楽章の独唱&合唱の歌詞が、いわゆる「芸術讃歌」になっているんですね。

まるまる引用するとやばそうなので、かいつまんで説明すると、まずメゾ・ソプラノが「おお、神のすばらしき姿よ、協和の、きよらかな芸術よ!」と歌い上げ、「わたしたちはみな、あなたに捧げる、熱いよろこびの讃美を」と歌います。(プログラム記載の大宅緒さんの訳より引用。以下同)

それからテノールが「あなたはこの世の輝く夢。あなたは祝祭にして安息」と歌い、このあと、魂が荒れ果てているときに、あなたのなかに慰めを見出すとか、闘いに敗れた者を生へと呼び戻すとか、新たな思惟のかたちを産むとか、とにかく大仰な賛辞が延々と続くわけです。

そして最後に、「来たれ、全世界の人々よ、芸術を讃えてうたおう」と独唱者が歌い上げ、合唱が「芸術に栄えあれ、永遠に栄えあれ!」と繰り返し、曲は壮大なクライマックスを迎えます。

 

面白いのは、ここから。

かつて読んだ、スヴェトラーノフという指揮者による二回目のスクリャービン交響曲全集のライナーノーツに書いてあったエピソードなんですが、一説によれば、スクリャービンは後年、友人に「あれは自分のことだ」と言っていたというのです。

すなわち、夢だ、慰めだ、地上にくまなく君臨する魂だ、ともてはやされている「あなた」とは、スクリャービン本人のことだったんだ、と。

あくまで風聞の域を出ない話かもしれませんが、後年の楽曲のプログラムでは思いきり「われは神なり」とのたまっている作曲家なので、じゅうぶんありそうなエピソードだとも思います。

 

なんの話をしているかは、もうお分かりですね。

ここでミステリー的に注目すべきは、冒頭と結尾だけ三人称的に「芸術」の名を上げて、まんなかではずっと「あなた」と二人称で呼びかける形で書いてある、そのテクストの巧妙さです。

だって、こう書いてあれば、誰だって「あなた」=「芸術」だと思いますもんね。

まさか、「あなた」が、作曲しているスクリャービン本人のことだとは思わない。

その大いなる錯誤のなかで、大人数の合唱団が、舞台上で声高らかに讃美するわけですよ。作曲者の偉大さを。作曲者の光輝を。

これってまさに、演奏家から聴衆まで罠にかけんとする、いっぱしの叙述トリックじゃないですか!!

 

とまあ、実際には編集者の考えすぎっていうか妄想なんでしょうが(笑)。

要は「われこそは芸術の化身である」と言いたかっただけなのでしょうし、リヒャルト・シュトラウスの影響なんかも大いにありそうな話ですが、個人的に妙に琴線にふれたエピソードだったので、いつか機会を見てミステリー・ファンの諸氏にご紹介したいな、とずっと思っていたのでした。

金曜日にも初台のホールで同じコンビでの同曲の演奏会があるようですが、一昨日はカメラも入っていたようなので、もしかするとテレビで放映するのかもしれません。

ぜひ機会があれば、愛すべき曲ですので、一度聴いてみてもらえると嬉しいです。(編集Y)

2014年10月23日 01:22 | | コメント(0)

もう、弊社より発売されたレオ・ブルース著『ミンコット荘に死す』はお読みいただけたでしょうか?

シリーズ前作の『死の扉』(東京創元社さん)から出版社が変わっておりますので、何卒ご注意くださいませ。

 ミンコット荘に死すblog.jpg

  

 ■オンライン書店で購入する
amazonセブンネットショッピング楽天ブックサービスhonto

 

 

読まれた方は皆さん、よく出来た、いかにも英国本格らしいクラシックだと感じていただけたのではないかと思います。

カントリーハウスで起きる変死事件。呼びつけられる素人探偵。

相次ぐ尋問と、引き起こされる新たな事件。次々と明らかになる関係者たちの不自然な行動。

そして容疑者全員が集まるパーティの席上、驚くべき事態が出来して......。

1956年という出版年から考えると、古風で様式的な組み立てにも感じますが(50年代だと、もう英国ではアンドリュー・ガーヴ、米国ではヒラリー・ウォーやジム・トンプスンあたりが普通に書いてる頃ですからね)、一方でクリスティーやカーもこの時期、新作を発表しているわけで、一定の読者はいまだにいるジャンルだったのではないかと。

 

ミステリー的な仕掛けについては、いろいろ語りたくて仕方ありませんが、ここは紹介の場なので、ぐっとこらえて我慢します。一見目につくのは、日本の某有名本格でも知られる「あのネタ」(英国でも本書以前にいくつかの前例があるようです)ではないかと思うのですが、それ以上に本書の核心を成すのは、p375の7行目の段落で指摘される構図でしょう。ぜひ、ご自身でいろいろと読み解いていただければ。

 

個人的に、『死の扉』と本作に限った感想としては、ウッドハウス風の英国の伝統的キャラクター小説の側面が強い印象を得ました。
本格ミステリーの枠組みに、巧みにジーヴスっぽいノリを噛みあわせている、という印象です。
 
尋問の単調な繰り返しと大団円で構成される、本格ミステリーの「退屈」とされる側面を逆手にとって、むしろ、順番にネタキャラが登場するコミカルなショーのように仕立てられているんですよね。
ちょっと、英国を代表する作曲家エドワード・エルガーの「エニグマ変奏曲」みたいな、「愛すべき変人図鑑」。
これは、明らかにカーやクリスティー以上に意図的な仕掛けであり(串団子式に出てきて、どのキャラにも吉本新喜劇のような決め台詞と、お得意の一発ギャグがある)いい意味で伝統的な戯画性が実に心地いい。
毒気のないイヴリン・ウォーとでもいいましょうか(笑)。
 
正直、ミステリーとしては若干気になるところもないではないですが(実際に起きていることを考えると、いろいろと無警戒に過ぎるとか)、本格ミステリーとしての稚気とフェアプレイ精神に、英国ユーモア小説の最良の側面をあわせ持つ本書の魅力は、弱点を補って余りあります。皆様にご紹介できて、本当に光栄です。
 
できますれば、引き続きレオ・ブルースの作品を発掘していきたいところですが・・・・・・それは商業出版の悲しさ、ひとえに皆様によるご助力にかかっております。
何卒、書店にてご購入いただくとともに、周囲の皆様にもご紹介いただければ幸いです!(編集Y)

2014年10月22日 15:38 | | コメント(0)

先日、三井記念美術館の『東山御物の美』展(開催中~11月24日まで)に行ってきて、そのハンパないお宝づくしに圧倒された編集Yです。ちょっとミステリーとは関係ないのですが、ぜひ皆さんにも足を運んでいただきたいので、勝手に宣伝をば(問題があるようなら関係者の方、ご一報ください)。

 

二年前の北京故宮展以来、昨年の上海美術館展、今年の台北故宮展と、中国絵画の至宝が次々日本初上陸を果たしています。

張択端「清明上河図巻」には10時間の行列ができててびっくりでしたが、そのほかにも、王詵「煙江畳嶂図巻」や趙孟頫の「水村図巻」といった超国宝級の傑作に、巨然、関同、元末四大家あたりの真作、それからクリーブランド展で米友仁が来たのにも驚きました。

大学時代、美術史に身をおいた者(自分は西洋絵画専攻でしたが)としては、これら極め付きの神品、逸品を実見できるというのは、まさに奇跡のような体験でした。

言葉どおり「門外不出」といっていい、図版でしか観たことのない作品群が、ぞろぞろと揃って初来日を果たしたのですから。

政治的な問題はさておき、文化交流の面ではいま、日中間に新たな時代が開かれようとしているのです。

 

そんななか、ここに、もうひとつの「大中国絵画展」が始まりました。

それが今回紹介する、三井記念美術館の『東山御物の美』です。

前記3つの展覧会は、中国本土(もしくは台湾)に残された逸品、神品を集めたものでした。

こちらは、室町期の足利将軍家にかつて所蔵され、今に残された中国絵画(および工芸)――いわゆる「唐物」を一堂に介した展覧会です。南宋画を集めた展覧会としては、おそらく10年前に行われた根津美術館での展覧会以来の規模のはず。

日本人は、特定の美意識に基づき、中国とは異なる基準で宋元の名品を輸入し、大切に保存してきました。その中には、いまや中国本土では作品の残っていない画家の貴重な作品も含まれます。

国宝だけでなんと11点!(展示替えあり) とくに牧谿、梁楷らの傑作群は、日本美術の礎にもなった古典中の古典です。実物観ると、はっきりいってビビリますよ。あまりの凄さに。そのさりげないリアリズムに。そして、墨を抑えることを恐れないその勇気に。

美術ファンなら絶対に見逃せない展覧会だと思います。また、ふだんは諸家に分蔵されている対幅(二枚一組の絵)を、並べて観ることができる貴重な機会でもあります。

なんといっても目玉としては、徽宗の「桃鳩図」が10年ぶりに出展されます(11/18~21のみ)。その前に展覧会に出たのが今から20年前といいますから、まるで彗星みたいな国宝ですね。

ちなみに編集者は、人生でまだ実物を観られていない国宝絵画が二点だけありまして、そのうちのひとつが「桃鳩図」なんであります(前回の根津で展示替えに気づかず見逃した。なおもう一点は可翁の「寒山図」。あと、遍照光院所蔵の池大雅の襖絵を全幅見たい~)。

 

ぶっちゃけ、裏でやってる東京国立博物館の「日本国宝展」に負けていないどころか、お宝率でいうと断然勝ってると思います(関係者には言えないと思うので、私が言っちゃいます)

少なくとも、「日本国宝展」に足を運んだのなら、こっちにもいっとかないと、本当にもったいない。

奇しくも、展覧会場で偶然お会いした大学の大先輩がこんな感じのこと(うろ覚え)をおっしゃってました。「あちらは2014年時点の国が定めている国宝。こちらは室町時代の将軍家お墨付きの『国宝』ですよ」。

 

ぜひ、皆様もお暇があれば三井記念美術館に足をお運びください!(編集Y)

2014年10月21日 22:26 | | コメント(0)

ページの先頭へ