2014年12月アーカイブ

続けて、今月の新刊。皆様お待たせいたしました!

今週より、スティーヴン・ハンターの大作『スナイパーの誇り』が発売です!!

今年もハンターの新作をお届けすることができて、編集部一同嬉しく思っております。

今度のお題は、第二次大戦下で活躍したまま、歴史の闇に葬られた赤軍の美しき女性スナイパー、リュドミラ・ペトロワ。ハンターはどうボブ・リーを動かし、歴史の真実へと肉薄していくのか・・・?

 

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 あらすじは、こんな感じです。

 

 ボブ・リー・スワガーは親友の記者キャシー・ライリーがモスクワから発したメールを読み、いたく興味を掻き立てられた。

第二次大戦末期の独ソ戦で輝かしい狙撃歴を残したソ連邦赤軍に女性狙撃手がいたという。

名前はミリことリュドミラ・ペトロワ。射殺した敵兵数は百を超え独軍からは"白い魔女"と呼ばれ恐れられていた。

だが1944年の半ば以降ミリの名前は記録からふっつりと消える。いったい彼女になにがあったのか。

ボブはただちにモスクワに飛び当地でキャシーと再会しミリに関する調査を開始した。その結果ふたりは、赤軍の大物高官がミリを特殊な任務に就かせていたことを突き止める。その任務とはナチス高官の射殺という命令らしい。

一体ナチスの高官とは何者なのか。二人はミリが向かったらしいウクライナへ移動する。

当地でボブの脳裏によぎるのは、彼女は任務完遂を前に殺されたのではという疑念だった。ミリは標的の狙撃に成功したのか。

やがてボブの身にも危機が迫り...。間断なきサスペンスと重層する語りで展開される巨匠円熟の傑作!

 

ぜひ、お楽しみに!(編集Y)

 

2014年12月26日 21:23 | | コメント(3)

更新が滞りまして、誠に申しわけありません。

2ヶ月忙殺されました声優さんの本で、精も根も尽き果て、ここ数日は体調不良にも悩まされ......。

こういう、四連泊×4とか、1日睡眠2時間とか、無茶な仕事の仕方をいいオッサンがいつまでもやっていては、身がもたないことはじゅうじゅう理解しているつもりなんですが、締め切りがあるとどうしても......来年こそは、余裕をもったスケジュールで仕事できるように、がんばりたいと思います。

 

さて、すでの好評発売中のジャック・ケッチャム&ラッキー・マッキーわたしはサムじゃない』。

これまでとは毛色の変わったケッチャムの新境地をご堪能いただけると思います。

むしろ、個人的な意見をいえば、これまでのような直接的な描写をあえて封印しているぶん、行間にこめられた情報量は今まで以上に豊かで、深い。愛読者の方からすれば、一見物足りない感じがするかもしれませんが、表面的な平穏さの影には、ケッチャムならではの世界観と問題意識が、研ぎ澄まされた形で顕現しています。

 

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あらすじはこんな感じです。

 

結婚して八年たったいまもパトリックとサムは深く愛しあっている。

ところがある日の真夜中、パトリックはサムの泣き声で目を覚ます。

なぜかサムの心は五、六歳児並みの幼い少女になってしまっていて

「わたしはサムじゃない、リリーよ、あなたなんか知らない」と言い張るのだ。

パトリックはなんとかしてサムを取り戻そうと決意するが...。

不条理な試練にさらされる夫婦の姿を描く新境地の連作

「わたしはサムじゃない」「リリーってだれ?」の二篇に加え、

ケッチャム節炸裂の衝撃作「イカレ頭のシャーリー」を併録。

これが鬼才の現在進行形だ!

 

タイトルを聴くと、当然のことながらショーン・ペンとダコタ・ファニングの映画『アイ・アム・サム』を想起する方も多いかと思いますが、ケッチャムのまえがきにそのことは触れられておらず、直接的な関係性があるかどうかは不明です。ただし『アイ・アム・サム』も、知的に幼い大人が主人公の話で、かつ幼女と大人のふれあいの話となっています。何らかの発想源とみてもいいのではないでしょうか。

 

お話は、突然愛する妻が幼児返りして、別人だと主張しだすという、カフカ的なシチュエイションを、ひたすら執拗に、ねばっこく掘り下げていくというものです。中篇二本という構成については、本書の仕掛けと通じる部分もあるので、読んでその効果をお確かめください。

短いセンテンスを積み重ねながら、ひと場面、ひと場面を巧みにモンタージュしてゆくその描写は、いかにも映画を念頭に置いて書かれている感じがします。

直接的な心情表現や説明を極力削ぎとった結果として、読者が想像で補う部分や自分で作品内のロジックを類推する部分が多くなっているのも、すこぶる「映画的」といっていいでしょう。

 

外見は愛する妻のままでありながら、よその幼女を預かっているかのような生活のなかで、夫のパトリックは、妻を元に戻すべく、必死で努力します。しかし次第にすり減ってゆくパトリックの精神。変わってゆくふたりの関係性。やがて、思わぬ形で悲劇が起こることに......。

 

一般の生活者が、突然の天災(ディザスター)のような不条理な状況に放り込まれて、サバイバルに挑むことを余儀なくされるというのは、ケッチャムがデビュー以来描き続けてきたテーマです。

これまでは、その「天災」が殺人鬼だったり食人族だったり壮絶ないじめだったりしたわけですが、今回は「幼児退行」という現象が、夫を直撃するということですね。

 

本書が読んでいて極端になまなましい印象を与えるのは、扱われている題材が今まで以上に身近で、誰にでも起こりうるような事柄を複層的に積み重ねてあるからでしょう。

まずは、中年夫婦の危機。それから、認知症と介護。加えて本書はロリータ・コンプレックスとも密接な関わりがあります。

また、男女の性差、認識の差というのも重要なテーマとなっています。夫パトリックにとっては、今回の事態は突然降って湧いた天災のようなものなわけですが、サムにとってはそうではありません。サムにとって、自らの幼児化はロジカルに説明がつくものであって、だからこそ、後編「リリーってだれ?」で、ふたりの認識には決定的な齟齬が生まれるわけです。

 

さらにいえば、勘のいい読者の方は、本作の裏テーマが「不妊」であることにもお気づきのことでしょう。

 

ゲラのチェックをしてくださった校正者(女性)の方は、パトリックが自分のほうが子どもを持てないことをより残念に感じていると言いながら、サムの体型が変わらないことを喜んでいたり、赤ちゃん人形を不気味がったり、お父さん役をさせられているテディを退屈そうだと評しているようすに、心と言葉の乖離を感じ、不協和感も強まったとおっしゃっていました。

一方で、サムのほうも「リリー」である間はおもちゃのオーヴンで嬉々としてお菓子を焼いたりしているのですが、「サム」としては、おとといのものを温めて食べていたり、レンジメニューばかりだったりと、調理の場面は出てきません。
 
表面上、幸せそのものに見える夫婦。しかし、二人は物語が始まるずっと前から、なにか大きな「嘘」をかかえて生活を形づくってきたのではないのか?
 
いろいろ考えていると、いつしかケッチャムの仕掛けた陥穽にはまり、思考の迷宮にとらわれてしまいます。作品を味わうためには、今まで以上に読者側の能動的な「読み込み」が必要となる小説だと思います。そのぶん本書は、ケッチャムが今まで以上に読者を「信頼」して送り出した小説、といってもいいのでしょう。
俺の小説が好きな人間なら、ちゃんとついてきてくれよな、といったところでしょうか。
 
 
併録の「イカレ頭のシャーリー」は、酸鼻きわまる残虐非道でオフ・ビートな鬼畜作品。アホまるだしのすっとんきょうな展開は、すかっとすることうけあい。こういうケッチャムのお茶目さを、編集者は愛さずにはいられません。
従来のケッチャム・ファンには、きっと楽しく読んでいただけることでしょう。
 
ぜひ、未読の方は、ケッチャムぽくないなどといわず、騙されたと思って読んでみてくださいね!(編集Y)
 

 

 

 

2014年12月26日 19:15 | | コメント(0)

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