実は、今週末(4/22)に発表される第八回翻訳ミステリー大賞に、弊社のチャールズ・ウィルフォード著『拾った女』(浜野アキオ訳)がノミネートされております! すでに4/20締め切りで、本投票は行われたようですが......。

弊社といたしましては、昨年度から、このミスやら文春やら、いろいろな年間ベスト企画にお取り上げいただいたうえ、さらにこのような大きな賞にまでノミネートしていただけて、こんなに嬉しいことはございません。

あらためまして、『拾った女』を読んでいただき、望外の評価をくださった全ての皆様に、心からの感謝の言葉を贈りたいと思います。

 

一方で、去年は読み逃したけど、そこまで言うなら、せっかくだからこれを機に読んでみようかな、という方もいらっしゃるかもしれません(というか、いらっしゃるといいなあ)。

そこで、翻訳ミステリー大賞のブームアップも兼ねて、これから『拾った女』を読まれる方に向けて、改めて、本書の読みどころなどをご紹介してみようかな、というのが本稿の主旨でございます。

 

この原稿は、もともと昨年、都内有志の皆様が開いてくださった『拾った女』読書会に、編集者がお邪魔した折に持参した、読書会用レジュメを改稿したものです。

なので、読み物というよりは、箇条書きの項目の列挙、作品のご紹介というよりは、編集者が本書を読む際にたどった実際の思考の過程をトレースしたような内容になっておりますが、そのへんは平にご容赦ください。

 

それと、相変わらず書きすぎてしまって、ひとつの記事とするにはちょっと長すぎるので、四回ほどに分けて掲載する予定です。

では、お手元に『拾った女』をご準備くださいませ!

 


★1955年に書かれたミステリー

まずは、本書が発表された1955年およびその周辺に、他にどんなミステリーが出版されたのか、そのラインナップを改めて確認しておきましょう。

 

(おもな1955年発表作)
パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』
マーガレット・ミラー 『狙った獣』
ヘレン・マクロイ The Long Body(翌年に『幽霊の2/3』、翌々年に『殺す者と殺される者』)
ビル・バリンジャー 『歯と爪』
セバスチャン・ジャプリゾ 『シンデレラの罠』
パトリック・クェンティン 『二人の妻をもつ男』
クリスティアナ・ブランド 『はなれわざ』
アステリア・マクリーン 『女王陛下のユリシーズ号』
フレドリック・ブラウン 『火星人ゴーホーム』

 

(ノワール、ハードボイルド系)
ジム・トンプスン『おれの中の殺し屋』1952年(55年作は『アフター・ダーク』)
ミッキー・スピレーン『燃える接吻を』1952年
ロス・マクドナルド『象牙色の嘲笑』1952年
レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』1953年
デイヴィッド・グーディス『狼は天使の匂い』1954年
ハドリー・チェイス『ダイヤを抱いて地獄へ行け』1955年

 

ちなみに本格系ビッグ3の1955年作は、カー『喉切り隊長』、クリスティー『ヒッコリーロードの殺人』、クイーン『クイーン検事局』といった感じですね。

こうして見ると、ハードボイルドはジャンルとしてすでに完熟期に入り、のちにノワールと呼ばれる一群のクライム・ノヴェルが量産されていた時期にあたることがわかります。
一方、広義のミステリー界を見渡してみるなら、本格黄金期~新本格の勃興期を受けて、アメリカを中心に、新たなタイプの作家たちが新機軸の作品を次々と発表していた時期だといえるでしょう。
とくに、『狙った獣』、『歯と爪』、『シンデレラの罠』、『はなれわざ』といった一定の傾向をもつ作品群と、これから読んでいただく『拾った女』との同時代性は火を見るより明らかで、こうやって一覧で見ると、むしろ「時代性ってこういうことか」とびっくりするくらいですが、このへんは、また読み終わられてから話題として蒸し返すつもりです。

 


ノワールとは何か?

本書の帯に麗々しく打たれた「傑作ノワール」との惹句(まあ自分で書いたわけですが)。

この「ノワール」という呼称に、ピンと来ていない読者の方が意外と多いんだなあ、というのが、実は読書会に参加させていただいた際の率直な感想でした。

結局、皆さん、「ノワール」という呼び名で喚起されるイメージが、えらくまちまちなんですね。

編集者などは扶桑社の社員だからか、まずはやっぱりジム・トンプスンを想起するわけですが、ここでジェイムズ・エルロイのことを考える人もいれば、フランスのギャング映画を考える人もいる。香港ノワールを思い浮かべる人もいれば、馳星周が脳裏に浮かぶ人もいる......。そりゃそうですよね。正直、なかなか難しいなあと思います。

 

こういうイメージの多義性が生じるのは、「ノワール」という言葉が、必ずしも明快なジャンルを指すタームではなかったことが一因となっています。

もともと「ノワール」という単語は、フランス発祥の映画/小説用語です。第二次世界大戦中に製作されたアメリカ犯罪映画の一群を、戦後フランスで「フィルム・ノワール」と呼称したことに端を発し、一方、ほぼ同時期のフランスで、「セリ・ノワール」というアメリカ犯罪小説の翻訳をメインとするミステリー叢書(ガニマール社)が創刊され、人気を博しました。

こうしてフランス人によって規定された「ノワール」という概念が、のちに本国であるアメリカにも逆輸入されたのでした。

ただ、実際にアメリカで「ノワール」という単語が本格的に流布したのは、1980年代に入って、フィルム・ノワールのリヴァイヴァル上映と、「ブラック・リザード」叢書の刊行が始まってからだといわれています。ここで「ノワール作家」の筆頭とされたのが前出のジム・トンプスンであり、結局、「ジム・トンプスンみたいな犯罪小説」の源流をたどる中で、ノワールの概念はハメットまで遡及する形で固められていきました。

 

要するに、「ノワール」というのは、よその国経由で、しかも書かれて半世紀もしてから「再規定」されたジャンルなわけです。だから、今「ノワール作家」として扱われる当時の作家たちは、当然ながら、自分たちの書いている小説を「ノワール」だとは考えていなかった。彼らは、あくまで自分たちを、クライム・ノヴェルの作家だとしかとらえていなかったのです。

 

では、小説において「ノワール」という言葉は、具体的にどのようなタイプの作品を指すものなのでしょうか。いろいろな定義がありうるとは思うのですが、ここではハメット研究の権威でもある諏訪部浩一さんの『ノワール文学講義』の記述におおむね従って、ご紹介していきたいと思います。

一般に、ノワール小説は1930年代のアメリカで書かれるようになったとされます。従来「ハードボイルド小説」の先駆者といわれてきた、ダシール・ハメットやジェイムズ・M・ケインといった作家の作品が、ノワールの源流と認識されているわけですね。

諏訪部さんは、ノワール小説を、社会の閉塞性&主人公の性格的・道徳的破綻が重要な要素を成す犯罪小説、として規定しています。そのうえで、30年代の「初期ノワール」と、戦後ノワールとに分けて、その特性を説明されています。

 

(戦前)大恐慌後の社会の変化のなか、逃げ出そうとするが失敗し、破滅する悲劇
(代表作家)ダシール・ハメット、ジェイムズ・M・ケイン、ホレス・マッコイ

 

(戦後)「初期ノワールに強くあった社会批判的な意識が薄くなり、代わりに個人の内面、より限定的には異常な心理状態といったものに作品の焦点があわされていくことになった」(ノワール文学講義 p36)
(代表作家)ジム・トンプスン、デイヴィッド・グーディス、ライオネル・ホワイト

 

あるいは、主人公が立ち向かう相手であったはずの「社会」が、戦後の好景気で悲劇の母胎として機能しなくなったがゆえに、逆に悲劇の萌芽を主人公自身の「内なる闇」に見いだしていったのが、戦後ノワールの変遷だといってもいいのかもしれません。

そう考えると、『拾った女』ほどに、諏訪部さんのいう「戦後ノワール」の定義に当てはまる作品もないのではないかと思えてくるわけです。

 

 

ニューロティック・スリラーとの関係性

で、ここからは編集者の自説なのですが、ハードボイルド/ペーパーバック系のクライム・ノヴェルを源流とするノワールの展開を考える際には、もうひとつ、一般に「ニューロティック・スリラー」と呼称されるミステリー・ジャンルとの同時代性にももっと注目すべきではないか、と。

ニューロティック・スリラーは、いわゆる異常心理をテーマ(モチーフ)とする映画/ミステリーの総称であり、アメリカで40年代に盛んとなり、50年代にいくつかの大きな結実を見せたジャンルです。
映画では『白い恐怖』(アルフレッド・ヒッチコック、45)『暗い鏡』(ロバート・シオドマク、46)『イヴの三つの顔』(ナナリー・ジョンソン、57)あたりがぱっと想起されますし、ミステリーでは、マーガレット・ミラー、ジョン・フランクリン・バーディン、ヘレン・ユースティス等が代表作家にあげられるでしょうか。これらの作品群に共通するのは、

●戦争によるPTSDや、幼少時のトラウマによる「動機」の発生
●「精神分析」を積極的に取り入れた描写、キャラクター設定
●「信頼できない語り手」「信頼できない主人公」をプロットに活かす方向性

といった部分であり、いわゆる「どんでん返し」系ときわめて親和性が高いのもポイントのひとつです。上記の作家以外も、ヘレン・マクロイはほぼその系統といっていい作品をいくつかものしていますし(そもそも探偵役が精神分析医)、パトリシア・ハイスミスもニューロティックな要素はかなり強い。後年登場するリチャード・ニーリィという特殊作家もまた、この系譜の正統な直系に属しているといえます。

戦後のニューロティック・スリラー隆盛の背景には、アメリカにおけるフロイト精神分析の爆発的流行と、帰還兵たちの抱える心理的外傷の顕在化、サイコ・キラー犯罪の劇場化など、様々な要素が絡まっていると思われます。でも考えてみると、これらの要素って、まさに戦後期ノワールを特徴づけるものでもあるのではないでしょうか。

初期ノワールから戦後期ノワールに至って変質したとされる部分――「代わりに個人の内面、より限定的には異常な心理状態といったものに作品の焦点があわされていく」あたりは、まさにニューロティック・スリラーの「キモ」に他ならないのではないか?

むしろ戦後期ノワールは、ハードボイルド的潮流とニューロティック・スリラー的潮流の潮目に生まれたあだ花だったといえるのではないか?

そう考えつつ、1955年作品のリストを改めて見ると、『拾った女』という作品がこの年に生み出されたのは、まさに必然だったとも思えてくるのです。

それではこのへんで一旦切って、次の記事では、さらにいくつかの映画を引き合いに出しつつ、本作が同時代作品と共有するまた別の一要素について考えてみたいと思います。(編集Y)

2017年4月21日 04:28

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