前の投稿では、本書が世に出るまでの話で終始しましたので、改めまして、作品の紹介をさせてください。

編集者が語るまでもなく、発売から数ヶ月、すでにさまざまな評論家の方から、最大限の賛辞をいただいております。

 

まずは解説の滝本誠さん。

「『コックファイター』は、ウィルフォード小説にあって、いや彼にとどまらない、小説界全体としても、きわめて異色の作品である。ハーマン・メルヴィルが『白鯨』を鯨百科と化したように、ウィルフォードは『コックファイター』を「闘鶏全書」とする――。」(解説より)

 

杉江松恋さんは、

「何度も書くが、中毒者のための小説である。何に。自分の魂に。願望が、欲望が肥大しすぎて他のものが見えなくなった人間は、自分自身であることのみに執着するようになる。一つの道筋を歩くこと以外には何も求めなくなり、やがてはそれ以外のすべてを憎み、世界から消し去ろうとするようになる。」

全文はこちら(Web本の雑誌)

 

吉野仁さんは、

「これは事件や謎をめぐるミステリーでも犯罪者が主役のクライムノヴェルでもなく、プロの闘鶏家を主人公にすえて描いた渾身の闘鶏小説である。むろんギャンブル小説の要素も含んでいるが、個人的には何かもっと大きなジャンルでくくりたくなる作品だ。断っておくが、暗く歪んだ情念だの陰惨な社会の闇だのといった面はないので、そのあたり(ある種の?)ノワール嫌いの方にも十分薦められる物語だと強調したい。」

全文はこちら(翻訳ミステリー大賞シンジケート)

 

ストラングル成田さんは、

「ミステリかと問われればミステリではないのだが、未知の世界の情報小説的側面と骨太のストーリーラインが相まって圧巻の面白さ。闘いに不適な鶏の膝から下を斧でぶった切るような強烈なシーンもあるが、クールながら饒舌な語り口もあって、奇妙な明るさを湛えている。」

全文はこちら(翻訳ミステリー大賞シンジケート)

 

酒井貞通さんは、

「ミステリめいた事件はほとんど起きない。にもかかわらず、ギャンブルと攫千金と、何より闘鶏という残酷な行為に魅入られた男の営みは、全てが完璧にノワールである。悪漢である。ピカレスクの空気が濃厚である。」

全文はこちら(翻訳ミステリー大賞シンジケート)

 

霜月蒼さんは、

「まず何より7章がすばらしい。本筋から見るとやや脇道にもみえるパートだが、ここだけ抜粋して「ハム&エッグス」というタイトルで短編小説にしても奇妙な行動原理を抱えた男を主人公とした仄暗い音楽小説として成立すると思う。ここを読むだけでも本書を読む価値がある。」

全文はこちら(翻訳ミステリー大賞シンジケート)

 

 みなさん、いかがです? すごく読みたくなってきたでしょう??

 

『コックファイター』は闘鶏をめぐる小説であり、狭義のミステリーの枠に収まるものではないかもしれません。でも、主人公の生き方や行動原理の描写、世界の描き方は同時代の「ノワール」小説とほぼ一致し、その延長上で愉しむことは十分に可能です。

まずは「闘鶏」が、本書の舞台となる1960~70年代の時点で、すでに全米の大半の地域で「禁止」されていた「アングラ」な競技だったということを、改めて確認しておきたいと思います。

 本書に登場する男たちは、去りゆく時代と血腥い闘争への憧憬にしがみついて生きている、アウトロー寄りの危ない連中――少なくとも本書に登場するメリー・エリザベスら「良識派」からは、そう思われているわけです。『コックファイト』という言葉からは、ある種の男根主義的なメタファーを感じ取ることもまた可能でしょう(ニワトリに仮託して「コック」を切り落とし合う競技)。

さらには吉野さんも言及されているとおり、「ギャンブル小説」の系譜においても本作は重要な作例といえます。弊社ではかつて『ハスラー』(ウォルター・テヴィス、1959年)、『シンシナティ・キッド(リチャード・ジェサップ、1963年)という二大(?)ギャンブル小説(前者はビリヤード、後者はポーカーがテーマ)を出版した過去がありますが、周囲の反対を押し切って「男の夢」を追い続ける主人公、アウトローたちが育むライヴァル心と友情、学のあるヒロインとの軋轢、無残な敗北から始まる勝利への執念、ストイックなまでの自己研鑽、男のロマンか家庭の幸せかという二者択一、といった組み立ては、ほぼ『コックファイター』と共通します。アルコール依存の問題や、やたらと主人公が長距離バスで行ったり来たりする時代背景などもとてもよく似ていて、ぜひ(古本ででも)合わせて読んでもらえると、きっと楽しんでいただけると思います。

 

同じ著者の作品である『拾った女』と読み比べていただくのも、いろいろと発見があって一興かと思います。

まず『拾った女』のハリーと、本書のフランク、ふたりの主人公の人物造形がどこかよく似ている。

アウトローに見えて、やたら細かなマイルールに縛られている点。実は芸術的才能が豊かで、プロとしてやっていけるくらいの手技を持っている点(それを披露することに変に後ろ向きなこだわりがある点)。人好きするキャラかと思って共感しかけていたら、唐突にドン引き必至の残虐な行動をとったり、意外な女性関係が後から明らかになる点(信頼のおけない話者)。相手からもらうお金に対して奇妙にストイックで、すぐ返したり受け取らなかったりする潔癖さ、意固地さ。ハリーとフランクは、結構な似た者同士だと編集者は思います。

また『拾った女』では、ハリーがとある属性のせいで、街のあちこちで冷たい仕打ちをうける描写がでてきますが、『コックファイター』のフランクの場合は、沈黙の誓いを立てているせいで、周りからは失語症だと思われているところがキモでして、そのせいで相手に軽んじられたり、逆に聴罪師さながら「秘密の吐き出し口」のような扱いを受けたりします。両者は「差別」という裏テーマにおいて、それぞれ独特の立ち位置を占める存在なのです。

 

ノワール的な観点でいえば、『拾った女』のハリーの場合、彼が見せる得体の知れない「死への傾斜と自死衝動」が、全編を通じての「闇」の基調となっていました。

『コックファイター』のフランクの抱える「闇」は、その「語り」に遍在します。

彼は沈黙の誓いを立て、2年以上にわたって声を発することなく生きてきた人間です。ところが、本書で記述されるフランクの一人称は、あまりに饒舌で、多弁。書く手紙もまあまあキモい(笑)。

「ミスター・サイレンス」がとめどなくしゃべくりつづけるという、ひねくれた一人称小説。このねじれた構造にこそ、ポップな「狂気」が包含され、主人公のノワール属性が過たず刻印されているのではないか。編集者はそう考えるわけです。

そこには、乾いたユーモアと、闇に傾斜する狂気と、血なまぐさい哲学と、あっけらかんとしたスポ根テイストが、奇妙に混交した形で同居しています。

 

ろくでなしだけど、どこか嫌いになれない、信念の男フランク。

彼の導きで、いまだかつて見たことも聞いたこともない「闘鶏」の世界の一端を垣間見る。それは大いなる愉しみではないでしょうか。

『コックファイター』は、きっとあなたに極上の読書体験を提供してくれるはずです。

 

そして、小説を堪能したら、ぜひ映画版(1974年)もどうぞ。

監督はモンテ・ヘルマン。天才映画プロデューサー、ロジャー・コーマンが手掛けた作品のなかで、興行的失敗に終わった稀な作品のひとつと言われていますが(他に彼が携わって赤字に終わった作品としては、チャールズ・ボーモント原作&脚色&出演でコーマン自身が監督した、黒人差別を告発する社会派映画『侵入者』(1962年)が知られるくらい)、現在ではカルト・ムーヴィーの傑作として、不動の評価を確立しています。

脚色には著者のチャールズ・ウィルフォード本人があたり、作中にはかなり重要な役(エド・ミドルトン)で出演まで果たしています(当時、作家本人が脚本を担当したり出演したりするのは、比較的よくあることでした。作家とハリウッドの距離が今より近かったんですね)。主演のウォーレン・オーツは、サム・ペキンパー監督の映画の常連であり、そのなかで、時代に取り残されたまま男の誇りに殉ずるキャラクターを繰り返し演じてきた名優。フランク役にはまさにぴったりの配役だといえるでしょう。

 

最後に、お詫びと訂正のお知らせです。

本書カバー裏の説明冒頭で、「1960年代のアメリカ南部」とありますが、これは正確な表記ではない、とのご指摘が訳者さんよりありました。

本書は1962年に初版のペーパーバック版が出版されていますが、1972年の再版で、全体にわたる改筆が行われ、初版における「第二次世界大戦」を思わせる描写が「ベトナム戦争」を思わせるそれに書き換えられるなど、再版時の時代風俗に合わせた変更が随所でなされています。なので、「1960年代」と明記するのは確かに正確ではありませんでした。お詫び申し上げます。

とはいえ、必ずしも年を確定できるような描写はなく、「だいたいそんなあたりの時代を扱った小説」だと思って読んでいただくのが一番であろうかと存じます。

以上、ご留意いただければ幸いです。(編集Y)

 

2020年9月 8日 20:45

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