全国の本格ミステリー・ファンの皆様、お待たせいたしました!
久々のレオ・ブルース。作品としては『ロープとリングの事件』(国書刊行会)に続く第6長篇ということになります。
タイトルはずばりシリーズ探偵の名を冠した、『ビーフ巡査部長のための事件』
今回は、旧訳も、親本も、私家版もない、完全新訳。
訳者はもちろん小林晋さんです。

ビーフ小.png


■オンライン書店で購入する
amazonセブンネットショッピング楽天honto

あらすじはこんな感じです。

ケント州の「死者の森」で、頭部を銃で撃たれた死体が発見される。
地元警察が自殺として処理するつもりだと考えた被害者の妹は、
警察を退職して私立探偵を始めたビーフに事件の再調査を依頼する。
一方、その一年前、ウェリントン・チックルは一冊の日誌を書き始めた。
「私は殺人を実行する決心をした。......そして、ここが肝要な点なのだが、
――私には動機がないのだ」
『野獣死すべし』ばりの構成の妙とフェアプレイの精神で読者を魅了する、
英国本格の精華がここに登場!

いろいろ経緯があって、急遽出版が決まりまして、
大変な短時間で一気呵成に出版までこぎつけたこともあり、
あまり事前告知ができておりませんが、
こうやって、レオ・ブルースの新刊が出せて本当にうれしく思います。

今をさかのぼること60年以上前、現代推理小説全集にレオ・ブルースを採録しようと思った植草甚一さんが、『死の扉』(創元推理文庫)とこれを読み比べて、『死の扉』のほうを採ったというエピソードがありますが、まあ『死の扉』が傑作だからといって、こちらがつまらないということでもありますまい。
(むしろ、あのとき全集に採られなかったから、弊社は大手を振って十年留保で出版できるんだぜ!というのは出版界の身内にしかわからない小ネタです。すいません)

かつて『三人の名探偵のための事件』における解説で、真田啓介さんはレオ・ブルースを「英国余裕派」のひとりとして分類しておられました。すなわち、E・C・ベントリー、A・A・ミルン、ロナルド・ノックス、アントニー・バークリー、シリル・ヘアー、エドマンド・クリスピンといった作家に代表される、「遊び心が旺盛で、ゆとりと落ち着き、現実との適度の距離といったものをその作品に感じさせる作家の一群」に属するというわけですね。

彼らのひとつの傾向として、本格ミステリーの「型」であったり「お約束」であったりを、ミステリー実作の枠内で茶化したり、戯画化することで、逆説的に「本格ミステリーとは何か」というクリティカルな探求を行うということがあります。

本作『ビーフ巡査部長のための事件』(ビーフは退職していますが、全編を通じて巡査部長(サージェント)と呼ばれます)もまた、そういったたくらみと仕掛けに満ちた、実に愉快な本格ミステリーです。
第二章から第六章まで、殺人計画者の日記をまるまる掲載するという、『野獣死すべし』ばりの仕掛けからスタートしますが、一方で、警察とビーフの捜査からは数々の容疑者が浮かび上がります。果たして、これはいかなるギミックなのか?
ぜひ、レオ・ブルースの鮮やかな技をご堪能ください。

今回、解説をお願いした三門優祐さんは、イーヴリン・ウォーとレオ・ブルースの類似点と実際の交流について言及されたうえで(素晴らしい!と訳者の小林さん。実際、英国本格をきちんと語るためには、ウッドハウスやウォーも含めた、当時の膨大な「非ミステリー」の「余裕派」小説も視野に入れる必要があるのでしょうね)、レオ・ブルースが本作で狙った「真の意図」について、きわめて示唆的な分析を行っておられます。
読者の皆さんも、ラストまで読んで、真相がわかったうえでなお、考えてほしいのです。
「なぜ、本書はこのタイトルなのか」。


それから。
あまり大きな声ではいえませんが
扶桑社では現在、『レオ・ブルース短編全集』も仕込み中でございます。
ただの短編集じゃありませんよ。「全集」ですよ、「全集」!
本当は、こっちを先に出すつもりだったんですが(笑)......まあ、いろいろありまして。
無事に出版できた暁には、大変面白いいきさつがありましたんで、ぜひ聞いてやってください。
今は実現に向けて、水面下で頑張ります!(出なかったらごめんなさい......)
そんなわけで、本格ファンの皆様におかれましては、まずは『ビーフ巡査部長のための事件』のほうから、じっくりとお楽しみください!(編集Y)


(追記)
ここからは、明快なネタバレはしていないつもりですが、念のため読了後にお読みください。

三門さんの論考に、個人的見解も加味して補助線をもう少し引くなら、この小説は「ビーフ巡査部長のための事件」であることに徹底的にこだわった小説であると同時に、「事件に同行するワトスン役によって記述され、巷間に娯楽読み物として発売される探偵小説」という「体裁」にも執拗にこだわってみせた小説でもあります。

そもそも、ホームズ物にせよ、ポワロ物にせよ、ヴァン・ダイン物にせよ、神津恭介物にせよ、御手洗潔物にせよ、「記述者」がなんでだか事件に平然と同行して、ずかずか現場に入り込み、一言一句書き留めたうえ、探偵の活躍と関係者の恥をあろうことか「読み物」にして世に問うというのは、ふと常識に立ち返って考えてみれば、ずいぶんと異常で空想じみた設定であるとしかいいようがない。
ある意味「名探偵」以上に、「ワトスン」というのは、お約束とご都合に満ちた装置(=探偵小説という形式の根幹を支える愛すべきギミック)なわけです。

そこを、「名探偵」を筆頭に、幾多の「本格の約束事」を楽し気にいじってきたレオ・ブルースが見逃すはずがない。
本書は、いきなり「ワトスン役」が「引退宣言」をビーフにかますライトなコントで幕を開けます。
現役警察官に張り付いてその偉大な業績を世に紹介するという、かなり特異きわまる「仕事」が、なんだか当たり前の商売のように扱われ、それを辞めるの続けるのとやりとりされていること自体が、すでにギャグの領域です。で、ビーフはせっかく難事件を解決してきたのに、本が売れないのはお前の筆力が足りないからだみたいな不満をぶつけ、一方で筆記者であるタウンゼンドは、俺が紹介してやらなかったら、お前はただの駐在だったとか言い返していて、なかなかに楽しい。

思えば、『三人の名探偵のための事件』で一番個人的に面白かったのは、メインのトリック以上に、三人の自称名探偵が何の断りもなくずかずか現場に登場して三々五々勝手に捜査を始める冒頭のコントでした。
この「真顔でお約束をやることで、そのお約束のおかしさを可視化する」という仕掛けは、レオ・ブルースの十八番といってもいいものです。

で、この「起きた事件を娯楽小説として書くこと」、それから「書いたものをミステリーとして読む人間がいること」という、本格ミステリーにおけるフィクショナルな約束事は、本作を通じてさまざまな形で強調され続けます。

ビーフは常に自らの「世評」と「知名度」を意識し続け(これは三門さんの論点ともかかわります)、タウンゼンドが面白く書くには都合のいい証言だとか、都合のいい展開だといった言及を繰り返します。
要するに、ビーフはここで事件を捜査し、解決するだけではない。
「それを後で読む読者」のことも考えながら、「読み物としての仕上がりを気にしつつ」捜査しているのです。

「殺人計画日記」という本書を特徴づける仕掛けにしても、おそらくならば、「書き手と読み手」という著者の問題意識の延長上で発想されたものだととらえるべきでしょうし、ラストのビーフのセリフも、単なるトリックの新手というよりは、まさに今語っている文脈でこそ生きてくる、なかなかに気の利いたジョークだといえるでしょう。

すなわち、「探偵小説」という架空の枠組み(行動に対して読者がいる)が、そのなかで生きる登場人物に影響を与え、ミステリー小説に登場するキャラクターであることにそれぞれが自覚的であるがゆえに、この事件は生まれ、複雑化し、解決篇を要求するにいたった、ともいえるわけです。

僕はこの小説で一番どきっとしたのは、実はビーフが謎の解明に至る「きっかけ」(p311、第28章冒頭)に関する記述でした。
「えええええ、それいっちゃうんだ??(笑)」
横溝正史の某作における指摘を想起させつつも、当事者性が強いがゆえにより逆説めいた、この素っ頓狂なロジックこそは、本作の実は「キモ」であり、真骨頂でもある、というのが編集者の意見です。









2021年2月 3日 13:44

コメント(0)

Comment

コメントする

ページの先頭へ