2023年7月アーカイブ

 ロバート・アーサーといえば、なんといっても不可能犯罪の名作「51番目の密室」が有名でしょう。
 そんな彼の、日本初の短編集ができました。
 訳者は、埋もれた本格ミステリー作品を中心に発掘をつづけてこられた小林晋氏。

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 表題作は、雪に閉ざされた山荘を訪れた女性が消失するという魅力的な謎に、驚きのトリックが炸裂する、これもまた不可能犯罪の歴史的傑作です。
(↑ ご覧の表紙は、森咲郭公鳥氏が描いた表題作のイメージです)

 その他、老姉妹がミステリー小説の知識を駆使して犯罪集団と戦う「極悪と老嬢」、ひねりにひねったシャーロック・ホームズもののパスティーシュ「一つの足跡の冒険」、小森収氏が"清々しい一編"と評した「マニング氏の金の木」、その他、ウィットに富んだショートショートからジュヴナイル中編まで、この作家の多彩な顔が楽しめます。

 どの作品も、たくみな語り口と凝ったたくらみに満ちているのですが、そもそもロバート・アーサーは、ラジオ・テレビのミステリー・ドラマの送り手として活躍し、エドガー賞を2度受賞しているのです。
 いっぽうで、小説誌の編集者としても辣腕をふるっていました。
 そんなところから、当然のごとくアルフレッド・ヒッチコックとパイプができ、ヒッチコックのゴーストライターならぬ"ゴーストエディター"として、「アルフレッド・ヒッチコック・プレゼンツ」のミステリー・アンソロジーを多数手がけます。
 さらには、ヒッチコック名義でジュヴナイル・ミステリー(少年探偵たちが事件に挑むというシリーズで、ヒッチコック自身も作中に登場します)を多数執筆することになります。

 そう考えると、まさに戦後アメリカのミステリー文化を支えた影の偉人だったと言えるでしょう。
 そんなロバート・アーサーが残した自選傑作集が本書であり、とうとう日本でもこの作家の作品をまとめて読むことが可能になったわけです。
 お見逃しなく!

2023年7月13日 18:35 | | コメント(0)

 海外翻訳小説ファンのみなさま、こんにちは!
 みなさんはこの週末どう過ごされましたか? 私は韓国発のミステリー映画、『告白、あるいは完璧な弁護』を観てきました。密室殺人の嫌疑を掛けられたIT企業の社長とその担当弁護士の会話を中心に「事件当日なにがあったのか」という回想で話がすすむ映画で、あっと驚くような結末が待っています。上映後拍手が起きるくらい良くできた脚本でした。ミステリ読みの方ならばきっと楽しめるのではないでしょうか。

 さて、扶桑社海外文庫の今月の新刊がいよいよ発売です。今月はS・ハンターほか3点が出る充実の月です。
 
 本日はひきつづき、キム・オンス『野獣の血』(加来順子・訳)をご紹介します。前記事では翻訳を担った加来さんに「訳者あとがきにかえて」というタイトルでご寄稿いただきました。そちらもぜひご高覧ください。

 さて本作は「扶桑社ノワール・セレクション」久々の新作で、720ページの巨躯を持つ長編。おそらく扶桑社史上最厚となる作品ですが、この作品、「凄い」です。

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 まずはあらすじをご紹介。

 1993年、釜山の片隅の港町クアム。万里荘ホテルの支配人ヒスは、18歳の時にクアムの裏社会を仕切るソンに拾われて以来、やくざ稼業に生きてきた。クアムは長年、海を挟んだ影島の組織と睨み合いつつ共存共栄を保っている。だがある日、組が所有する工場が流れ者のやくざヨンガンに襲撃され、平和のバランスは崩れだす。背後に影島がいるのではと疑うヒスは、やがて利権を巡る抗争に否応なく巻き込まれていき......。

 舞台は釜山の外れにあるという架空の町・クアムで、戦前に日本人が建てたというホテル「万里荘」を中心に話は進みます。

 主人公ヒスは四十代でやくざの中間幹部。クアムを仕切るソンおやじという上司の下で、唐辛子の産地偽装などおよそやくざがやるものとは思えないような小さい仕事をこなしつつ、町で起こるいざこざの調整もおこなう。借金を抱えながら博打を打つような面もありますが、じつはティーンエイジャーのときの初恋をいまでも心のうちに秘めている、一途な人物でもあります。

 ほかにも「キャラ立ち」した登場人物たちがたくさん出てきます。
 ソンおやじもそうですし、元娼婦であるインスク、その息子のアミ、敵対する「影島(ヨンド)」のやくざのドンやボスたち、数字にめっぽう強くヒスの弟分でもあるタンカ、この小さな町で一旗上げようと足掻くヤンドン、無駄話ばかりで呆れられるフロントマンのマナ等々......。彼らは皆、狭い町で必死に生きており、ちょっとしたチャンスがあればすぐ掴もうとする、脈動する熱い血に衝き動かされる人物です。

 しかし、そんなイキイキとしてコミカルでもあるキャラクターたちが、気づかぬうちに少しずつ抗いようのない抗争に巻き込まれていく。喜劇のすぐ横にたちあらわれる悲劇が本作の魅力です。

 本作は映画化もされました。
 ヒス役に『応答せよ1994』や『偽りの隣人 ある諜報員の告白』等で知られるチョン・ウ。監督は、キム・オンスの長年の友人でもあり、『鯨』(邦訳は斎藤真理子氏、晶文社刊)で文学トンネ小説賞を受賞した作家チョン・ミョングァン。いかにも「韓国ノワール」の雰囲気たっぷりな映画に仕上がっています。

 『野獣の血』との出会いは、今年の2月ごろ、翻訳家の加来さんが弊社に企画を持ち込んでくださったことからはじまります。
 加来さんは紹介時に「いま日本で公開中の韓国ノワール映画の原作」というようなメッセージをくださったのですが、じつはちょうどその前日に、自分のTLに流れてきた映画宣伝ツイートをきっかけに「お、『野獣の血』、韓国ノワール新作! これは観たい!」と思っていたところだったので、渡りに舟といいますか、絶好の機会だと思いました(しかし実際には、映画のほうはうかうかしているうちに劇場公開が終わり見逃してしまうのですが......)。

 印刷した原稿をプリンターから手に取ったときには、正直、かなり長いなと思いましたが、面食らったのもつかの間、読み始めてみると、独特の技巧で書かれた小説で、かつ独特の技巧で訳されたものでもあるとすぐに気がつき、三章ほど読めばもうぐいぐいその作品世界に引き込まれる。最初に読み終わったときには、終盤の切なさから「ああ、これは凄いものを読んだな」と深く胸を打たれたような気分になりました。

 そう、ためしよみをご覧になったかたはお気づきと思いますが、日本版『野獣の血』の大きな特徴のひとつに、「登場人物の会話を関西弁で訳している」という翻訳技巧が挙げられます。おそらく、こんな翻訳小説はめったにないでしょう。
 ですが、いや、だからこそ、この日本版は「凄い」んです。

 なぜ会話が関西弁で訳されているのかといえば、原書でも会話が釜山方言で書かれているからです。

 そもそもキム・オンスは釜山の生まれであり、今作には自身が見聞きした話を織り交ぜて書かれている小説でもあります。だから、キム・オンスにとって本作における釜山方言の使用は必要不可欠な、アイデンティティーのひとつでもあったわけです。そして韓国語のなかでも釜山方言はかなりの特徴をもつものだそうで、それが顕著に示されていた映画版では、ソウルのひとが「方言が強く、字幕が必要だ!」と感想を書くほどだったとか。そうした特徴ある方言を作中にきちんと取り入れることで、キム・オンスは「1993年の釜山、クアム」という作品世界を作りあげました。
 だから、日本語に翻訳されたあとでもその印象をストレートに届けるための表現として、関西弁での翻訳という技法が選択されたのです。

 それゆえ、読んでいると、ヒスやソンおやじ、アミやインスクといったキャラクターたちが、眼の前にいて実際に喋っているように感じてくる。深刻な相談も、バカ話も、実際にクアムという町にいてそこで見て聞いているように思えてくる。感情もダイレクトに伝わってくる。だからこそ、いつのまにかヒスが足を踏み入れている止めようのない血塗れの抗争の哀しさがより引き立つのです。

 私はハングルを読むことはできませんが、きっと、原書を読んだ韓国の人も、この作品世界に圧倒されたことでしょう。それを日本語で伝えるには、こうでなければならなかったのだと思いますし、そうすることによって、こんなにも豊かに拡がる作品世界を表現できるんだ、とも感じました。

 方言を活かして書かれた外国語小説を日本語に翻訳するとき、ネイティヴが読んだときに受けた印象を、おなじように日本の読者にも受け取ってもらうにはどうしたらよいか。たぶん、翻訳家のあいだでもさまざま意見や考え方があると思います。

 私はもともと読者として海外のエンターテインメントの文芸を好み、それゆえ翻訳出版編集を志望した者ですが、全編このように関西弁を用いた翻訳小説に出会ったのは今回が初めてでした。巷間「翻訳は原文のニュアンスを~」など簡単に言いますが、私は今作の担当をつうじて、「こうしたことを考えて自分のなかで回答を出し、訳していくのが、AI翻訳にはできない"翻訳家"という仕事なのだろう」、とあらためて気づかされました。翻訳文芸は厳しいと言われる昨今ですが、そんな翻訳エンターテインメント小説の本来の魅力を再確認させてくれる一冊でもあると思います。

 もうひとつ、魅力ポイントを。この小説、食事シーンがとても美味しそうなのです。
 第一部の中盤から、ソンおやじが長年懇意にしている老いた殺し屋・タルチャというキャラクターが出てきます。私のいちばん好きな登場人物です。
 ヒスも最初は、老いた殺し屋なんてこの仕事に大丈夫なのか、と思いますが、むしろ「長生きしている=戦いのなかで死んでいない」からこそ信用がおけるのだという、じつに説得力のある理由でソンは重要な場面で使うようヒスに申し渡します。
 そんなタルチャは料理人でもあります。タルチャは、依頼を受けて相手を殺す前に、その相手に炭火焼肉や牛刺や鯨や鮮魚の刺身などをふるまうのです。緊張感のあるシーンながら、これが絶妙に美味しそうに描かれるのです。ぜひ、実際にお手にとって読んでみてください。

 今回、解説は書評家の霜月蒼さんにお願いいたしました。翻訳ミステリー大賞シンジケート内の名物企画「書評七福神の今月の一冊」の一角としても知られる霜月さん。本書について、こう述べておられます。

この七百ページ超えの巨体には、物語を読むことの楽しさがみっちり詰まっている。ユーモアから憎悪まで。人間の気高さからゲスさまで。コメディからノワールまで。善から悪まで。きれいごとでは動かないこの世界の複雑性を、清濁そのまま併せ呑んで描き出したがゆえの深く忘れがたい味わい。『野獣の血』はそういう小説である。」(解説より一部抜粋)

 装幀は岩郷重力さん。じつは、ジム・トンプスンほか扶桑社の「ノワール・セレクション」のすべての装幀を担っておられます。今回は、九十年代に撮影された韓国の町並みを大きくあしらいました。おなじ釜山の港町の裏社会を舞台にしたクァク・ギョンテクの映画『友へ チング』の話をしながら写真の方向性を固めていき、最終的に、岩郷さんが今作とおなじ時代の韓国に旅行をした際に撮影した写真が出てきて、「これだ!」と決めることができました。あの時代にしか無い空気を切り取った表紙にできたのではないかと思います。

 裏社会で必死に生きる者たちの哀切を丹念に描いた本作。ぜひ、『仁義なき戦い』あるいは『ゴッドファーザー トリロジー』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を観るような気持ちで、本作『野獣の血』を読んでいただけましたら幸いです。(編集M)


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2023年7月 3日 15:01 | | コメント(0)

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