新刊案内アーカイブ

弊社の基幹作家であるスティーヴン・ハンター。
今年は残念ながら新刊はありませんでしたが、ついに初期の代表作『真夜中のデッド・リミット』(上・下)が扶桑社から復刊されることになりました!
『このミステリーがすごい」!89年版』海外編第2位(ちなみに、この年の第1位は『羊たちの沈黙』でした!)や、日本冒険小説協会大賞受賞など、数々の栄冠を得て、日本での彼の名を大いに高らしめた初期の代表作が、新刊として書店の店頭に帰ってきます。

今回、改めて翻訳者の染田屋さんと全文を確認し、かなりの箇所で訳文に手を入れました。
少し古い言い回しだった固有名詞なども含めて、今の読者の皆さんに読んでいただくにふさわしい形で、訳文をリファインすることができたのではないかと自負しております!

デッドリミット上下2.jpg


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上巻出だしのあらすじは、こんな感じです。

アメリカ・メリーランド州にある、山中深くに配された核ミサイル発射基地。
全米で唯一、単独発射が可能なこの基地が、謎の武装集団に占拠された。
最新鋭核ミサイルの発射を阻止するためには、基地に潜入するしかない。
ミサイルの発射キーは現状チタニウム合金製の保管庫に収められているが、
破られてしまうのも時間の問題だ。デッド・リミットは深夜零時。
ミサイル発射までに残された時間は十数時間しかない。
絶体絶命の状況下で、デルタ・フォースを創設した歴戦の勇士プラーに特命が下る!

とにかく、べらぼうに面白い。
人によっては、スワガー・サーガより好き、という人がいてもおかしくないでしょう。
実際、評論家の川出正樹氏は、ハンター作品のなかでは「ダントツで『真夜中のデッドリミット』が好きです」と公言されていたかと。

正体のわからないテロリストによって、唐突に占拠された核ミサイル基地。
ミサイル発射までのデッド・リミットが目前に迫ります。
限られた時間のなかで、デルタ・フォースと徴用された一般人の混成部隊は、
①外部に配された敵勢力を突破したうえで、
②難攻不落のミサイル基地内部に潜入し、
③カウントダウンをとめなければならない。
併せて、そのためには
④敵の正体を見破ることも必須となってきます。

この最高難度のミッションに、デルタ・フォース創設にかかわったプラー大佐を指揮官として、FBI捜査官や、民間人の州兵であるブラヴォー中隊の面々、基地潜入の特命を帯びたベトナム戦争の勇士(トンネル・ネズミ)といった、さまざまは人々が、一致団結して挑みます。
その他、テロリストの中核メンバーや、彼らに誘拐され協力させられる溶接工、人質にとられたその家族、うらぶれた落魄の中年ソ連人スパイなど、個性的なキャラクターがつぎつぎに登場。
一日に満たない時間経過のなかで、それぞれが文字どおり「生死を懸けた」、苛烈な戦いに身を投じます。

すなわち、スワガー・サーガが無敵のスナイパーの活躍を描く「ヒーロー譚」であるとすれば、
本作は徹底して一人ひとりの物語に注力した、典型的な「群像劇」であるといえるでしょう。

解説の古山裕樹氏は、本書の面白さを「記憶」「人物」「展開」の三つの側面から、見事に読み解いてみせます。

「そして、本書の登場人物たちはあっさりと命を落とす。たとえ重要なキャラクターでも油断はできない。これは決して一人ひとりのキャラクターを軽く扱っているということではない。むしろその反対だ。
 個々の人物がどのように生き、何を愛し、何を重んじていたかーーそれが描かれているがゆえに、一人ひとりの死が、読む者の心に鋭く突き刺さる。そっけなく語られる死は、その簡潔さゆえに、語られない多くのことを読者に刻みつける。」

結局、この物語で誰が勝利し、誰が英雄になったといえるのか。
下巻368ページから始まる、とある登場人物の長いモノローグは、血沸き肉躍るアクション・サスペンスの最後にやるせない影を落とし、深い文学的余韻を残します。
371ページに「列挙される」、いかにもハンターらしい「とあるデータの羅列」が、なぜにここまで読む者の涙腺を刺激するのか。
近年のハンター作品と比べると、レトリックはさっぱりめで、描写もねちっこさが薄め、個性という意味では若干控えめかもしれませんが、そのぶん、キャラクターたちが織り成す密度の濃いタイムリミット・サスペンスを、ストレートに堪能できるかと思います。

スティーヴン・ハンターの、というより、
20世紀のアクション小説を代表する、ベストの一作。
まだ読まれたことのない方も、かつて一度読まれた方も、ぜひ手に取ってみてください。
担当編集として、皆様に最高の読書体験となることをここにお約束いたします!!  (編集Y)



2020年10月 2日 20:52 | | コメント(0)

8月末(9月10日奥付)の新刊は、扶桑社では久々の赤背(ホラー&ファンタジー)!

スティーヴン・キングのファンサイトを運営する熱狂的なマニア、ハンス=オーケ・リリヤが編纂した、キングに捧げるホラー・アンソロジー。『闇のシャイニング リリヤの恐怖図書館』の登場です。

一部ファンの間で、結構話題にしていただけているようで、初速もそこそこよく、本当にありがたい限りです!

 

シャイニング ブログ.jpg

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内容はこんな感じでございます。

 

世界最大のスティーヴン・キング・ファンサイトを20年間運営してきた編者が、キングゆかりの著者たちに自ら執筆・掲載の交渉を重ねて編み上げた傑作ホラー短編集。

海辺のコテージを訪れた作家が、家主の妻に霊感を得て小説を書き始めるが、完成した作品を読んで笑い転げる彼女を見て......キング自身の小説作法を作中で開陳する異色の書籍初収録作「青いエアコンプレッサー」、インターネットを介したいびつな男女関係を描くケッチャム&カセックの「ネット」など、珠玉の12編を収録!

 

収録作は以下の通りです。

スティーヴン・キング/白石朗訳 「青いエアコンプレッサー」
ジャック・ケッチャム&P.D.カセック/金子浩訳 「ネット」
スチュアート・オナン/夏来健次訳 「ホロコースト物語」
ベヴ・ヴィンセント/友成純一訳 「アエリアーナ」
クライヴ・バーカー/宮脇孝雄訳 「ピジンとテリーザ」
ブライアン・キーン/友成純一訳 「世界の終わり」
リチャード・チズマー/友成純一訳 「墓場のダンス」
ケヴィン・キグリー/友成純一訳 「炎に溺れて」
ラムジー・キャンベル/友成純一訳 「道連れ」
エドガー・アラン・ポー/金原瑞人訳 「告げ口心臓」
ブライアン・ジェイムズ・フリーマン/友成純一訳 「愛するお母さん」
ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト/友成純一訳 「キーパー・コンパニオン」
 

今回やむを得ない諸般の事情で、急きょ編集者が自ら巻末の解題を付すことになりました。

これだけ著作権上問題のないケースも稀ですし(笑)、

せっかくですので下記にそのまま添付いたします。

 

一点、追記しておきますと、ハンス=オーケ・リリヤさんの名前の読みは、ご本人に確認済みです。エージェントを通して確認したところ、なんとリリヤさん本人から、速攻でご自身で名前を発声してくれた音声ファイルが送られてきたんですよ。なんて軽いフットワーク!

ちなみに、それを会社で確認するためにエンドレスでリピート再生していたら、あろうことかヘッドホンのプラグが抜けてたようで、編集部に大音量で「ハンスオケリリィヤハンスオケリリィヤハンスオケリリィヤ・・・」と流れてたらしく、同僚たちから「あなた一体なんの仕事してんのそれ? 呪文? こわいよ!!」とか散々バカにされました(笑)。

 

 解 題


本書は、スティーヴン・キングの個人ファンサイト〈リリヤ・ライブラリー〉を長く運営してきたスウェーデン人、ハンス=オーケ・リリヤが、サイト設立二十周年を祝う目的で、自らキングゆかりの作家たちに作品の提供や原稿執筆の依頼を行い、編み上げた短篇集である。

書籍の刊行元は、アメリカを代表するホラー専門出版社〈セメタリー・ダンス〉社。アメリカのホラー界では、同社や〈ガントレット・プレス〉社など、愛蔵版のハードカバーを少数の好事家に向けて限定生産する出版社が存在し、ホラー・マニアに客層を特化したアンソロジーや復刻版を随時提供している。本書には、〈セメタリー・ダンス〉社のリチャード・チズマーやブライアン・ジェイムズ・フリーマンが、作家としても参加している。


筋金入りのキング・マニアが、自らのアンテナに適う作家たちに発注して生み出したアンソロジーだけに、その作品群からは、強烈に「キング」の影と匂いが漂ってくる。それは当然のことだろう。

「スティーヴン・キング」とはいったい何者なのか。キングが生み出した「モダン・ホラー」とはいったいなんなのか。何を糧として、キングという巨峰は生み出されたのか。

そういった根源的な問いが、作品からは常に逆照射されているように思われる。

キングに影響を与えた作品群(エドガー・アラン・ポー、H・P・ラヴクラフト、レイ・ブラッドベリ他)へのオマージュと、キングに影響を受けた作家たちによるキング自身へのオマージュが、さまざまなレベルで混淆し、波及し合うことで、本アンソロジーは「作品で語るキング論」として機能しているのである。


以下、各作品について最低限の解題を付す。

なお執筆にあたっては、本書の特設サイトに掲載された、各作品についての著者陣の発言(https://shininginthedarkanthology.com/us/)をなるべく引用するようにした。



「青いエアコンプレッサー」スティーヴン・キング

本書の刊行まで書籍に収録されたことのなかった、キングのファンのあいだでもなかなか読めないとされてきたレア中のレア作品であり、もちろん本邦初訳となる。 

キングの分身ともいうべき作家を主人公に据えながら、なんと著者である「キング本人」まで物語に闖入してきて、やおら自作の解説を始めたすえ、自身のホラー小説作法を縷々開陳するという、かなりトリッキーなメタ作品。どうやら大学時代の若書きを雑誌に再掲載した際に、この奇妙な外付けのギミックが追加された可能性が高そうだが、結果的には、キングの小説技法やホラー観を知るうえで極めて重要な作品となっている。

本書のアイディアに関しては、キング自身が作中で述べているとおり、かつて読んだECコミックの一篇から得たインパクトが大きいようだ。そこで夫婦がお互い殺し合う際、痩せ女が膨張して弾け飛び、肥満男が真っ平らになるという「皮肉」をキングはいたく愛している、という。


「ネット」ジャック・ケッチャム&P・D・カセック

二〇〇六年に〈ガントレット・プレス〉社の少部数限定版ハードカバーのホラー・アンソロジー『Masques』第五巻に掲載されたのが初出で、ケッチャムの個人短篇集には収録されていない。こちらも本邦初訳である。

暴力と悲劇に終わる酷薄な世界観のなかでなお、人の孤独とディスコミュニケーションをリリカルに描き出すという意味で、ジャック・ケッチャムの真骨頂とも言える作品。テイストとしては二〇〇七年の中篇「閉店時間」(中篇集『閉店時間』扶桑社ミステリー所収)に比較的近いといえるのではないか。本アンソロジーに収録されたのは、猫の「クージョ」が登場するからかもしれない。

著者たちによれば、もともとケッチャムがどこかのコンベンションで出会ったP・D・カセックに、本作の内容に類似した実在のニュースの話をしたのが始まりらしい。カセックのアイディアで、実際にインターネット上で、男のほうをケッチャム、女のほうをカセックが担当して交互に書き合うかたちで、共作の執筆は進められたようだ。カセックは「最高のホラーとは、極限へと振れた日常の恐怖のことだ」と述べている。


「ホロコースト物語」スチュアート・オナン

ロンドン在住の作家が『ホロコースト物語』という小説を発表して名をあげ、アメリカの有名トーク番組〈オプラ・ウィンフリー・ショー〉のゲストに招かれて出演するまでの懊悩や葛藤を描く純文学風の異色作。とくに目を惹くのは、主人公(兼語り手)の呼称が彼の書いた作品名と同じになっている点で、「青いエアコンプレッサー」同様、自己言及性の強い作品に仕上がっている。著者は本作について「小説を書く際の作家自身の実体験と他者の経験の関係をテーマにした作品」と述べている。また冒頭の呼びかけは、レイ・ブラッドベリとジョン・アップダイクを意識したものであるという。

オナンはいわゆるホラー作家ではないにせよ、キング自身を自らの小説『スピード・クイーンの告白』(ソニー・マガジンズ)内に登場させたり、ボストン・レッドソックスに関する共著を二人で出したりと、なにかとキングと深い関係をもつ作家である。キングのナチスものといえば中篇「ゴールデンボーイ」(新潮文庫所収)が著名だが、オナンは他にも『City of Secrets』というナチスの登場する長篇を執筆している。両作家が同テーマへの関心を共有しているのは確かなようだ。

なお訳者の夏来健次氏によれば、本作の主人公が「島」の出身とされていることについて、イギリスで唯一ドイツに占領された地として、ドーバー海峡のチャンネル諸島があり、実際ユダヤ人島民がドイツの収容所に送られたり、島自体にも収容所が建てられたりしたことからすれば、史実上でもありえなくはない設定であるとのことである。


「アエリアーナ」べヴ・ヴィンセント

本書のための書き下ろし作品。もともとは別のテーマ・アンソロジー向けに執筆しながら仕上がらないまま置かれていた短篇を、リリヤからの依頼に合わせて全面的にリライトしたものだという。

特別な力を持つ少女と女性警官の交流を描く、情感とペーソスに満ちた美しい一篇である。「異能の少女」というテーマ、警察小説とのクロスオーバー、能力者と犯罪者が対峙する構図など、キング作品を彷彿させる要素を備えており、モダン・ホラーの定式を巧みに体現した逸品であるといえる。

著者によれば、当初はホラーもしくはダーク・ファンタジーを書くつもりだったが、結局はある種のクライム・ストーリーに着地したとのこと。彼は本作を「幻想的なるものが、殺人や警察捜査といった現世的世界と交叉する物語」「ある種のアーバン・ファンタジー」と位置づけている。


「ピジンとテリーザ」クライヴ・バーカー

一九九三年と一九九七年に「ロンドン」をテーマとするアンソロジーに収録されたのみで、ファンにとってはかなりのレアアイテムとなっていた短篇。もちろん、今回が本邦初訳である。

ロンドンの下町で引き起こされる怪しげな宗教的奇跡と、それに続く先読み不能の驚くべき展開。いかにもクライヴ・バーカーらしい幻視性の際立った快作であり、「聖」と「俗」のはざまに笑いと恐怖を見出す、著者ならではのヒエロニムス・ボス的な感性が炸裂している。

本作で採用された特異な文体は、得体の知れない聖人伝の偽書でも読まされているかのようだ。その語り口によって彼は、現代のロンドンに、ボスやブリューゲルの絵画作品に登場する天使や糞便まみれの聖人、人化したグリロスの怪物を召喚し、跋扈させることに成功している。皮肉たっぷりに描かれる「宗教」の欺瞞と卑俗は、まさに二〇二〇年の今にもつながる現代的なテーマだ。


「世界の終わり」ブライアン・キーン

本書のための書き下ろし作品。ストレートに情感に訴える佳品である。

公式サイトで、著者であるブライアン・キーンがこの短篇を執筆したきっかけについて語っている。なんでも、彼自身サスケハナ川の近くに住んでいて、ある朝桟橋に座って足元を流れる川面を見つめていたら、遠くで自分と同じように川の流れを眺めている人物が目に入ったらしい。その悲しみに沈むかのような姿を見て、物語の全体が一瞬で降りてきたという。

執筆に際しては、本アンソロジーの主旨にそって、キングの書き方を強く意識したということだ。


「墓場のダンス」リチャード・チズマー

どこかロマンティックな風情もある「メメント・モリ(死を想え)」をめぐる掌篇。

お気づきのとおり、原題「Cemetery Dance」は、著者であるリチャード・チズマーがオーナーをつとめるホラー専門出版社の名称と同じである(本アンソロジーの版元でもある)。

チズマーによれば、本作は彼がものしたいちばん初期の短篇の一本であり、雑誌に売れた二番目の短篇である。しかし本作を載せるはずだった雑誌が出版前に次々に廃刊の憂き目に遭い、この短篇自体が呪われているのではないかと恐れだしたという。本作を買った編集者たちは、その内容以上に「タイトル」の方を口を揃えて絶賛していたらしい。一九八八年にチズマーが自らのホラー雑誌を立ち上げると決めた際、その誌名に〈セメタリー・ダンス〉とつけたのは当然の帰結だった。

もちろんキングのファンにとっては、『ペット・セマタリー』(文春文庫)と評論集『死の舞踏』(ちくま文庫、原題『ダンス・マカーブレ』)を容易に想起させるタイトルでもあるだろう。


「炎に溺れて」ケヴィン・キグリー

本書のための書き下ろし作品。中篇規模のボリュームを誇るが、著者は本作を、とある吹雪の日の午後いっぱいをかけて一気に書き上げたという。

内容はある意味、シンプルだ。徹頭徹尾「あれ」が、ひたすら群れをなして襲ってくる! 映画なら『燃える昆虫軍団』『スクワーム』『ザ・ネスト』、小説ならジェイムズ・ハーバートの某作あたりを想起させるような、パニック・ホラーの王道を往く作品である。友成氏らしい名調子の翻訳とも相まって、食事時や就寝前に読んだら腹にぐぐっとこたえること請け合いだ。

作者であるキグリー自身、この生物に対する根源的な恐怖心があるというが、物語の霊感源として映画版の『羊たちの沈黙』を挙げているのは興味深い。また当然ながら、著者は、レイ・ブラッドベリの『何かが道をやってくる』(創元SF文庫)を作品の祖型として挙げている。

「カーニバル」の幻想と「少年たちの冒険行」の思春期性。それがスティーヴン・キングにとっても重要な作品の構成要素であることは、改めて指摘するまでもないだろう。


「道連れ」ラムジー・キャンベル

「炎に溺れて」に続いて、こちらもカーニバル(遊園地)を舞台とする作品。文学的かつ幻想的な味わいをじっくりご堪能いただきたい。唐突に登場する父母の描写などの「違和感」が積み重なり、やがて臨界に達したとき、世界観がぐるりとひっくり返る。これは子供の悪夢の形状をとって、イングランド北西部の廃遊園地へと偽装された、ダンテの『神曲』世界なのだ。

著者のラムジー・キャンベルは、本作について「理解することよりも書くことのほうが重要だと思われた数少ない作品の一つ」と述べている。一九六九年に最初の着想を得て、リヴァプールから川を挟んだニューブライトンの遺棄された移動遊園地を舞台にメモを書いたが、その時点で主人公は若い女の子の設定だった。その二年後、本作に登場する〈幽霊列車〉のアイディアが降りてきて、最終的には一九七三年に全体の完成を見たという。


「告げ口心臓」エドガー・アラン・ポー

古典中の古典ともいうべきポーの短篇が、一本だけこのアンソロジーに組み込まれている理由は概ね察しがつく。最初に収められたキングの「青いエアコンプレッサー」が、この「告げ口心臓」を本歌取りした作品という側面をもつからである。

ポーの場合、本作以外にも「黒猫」や「ウィリアム・ウィルソン」など、「良心殺し」に主眼を置いた同趣向の短篇がいくつか存在する。それらに登場する犯罪者は、おそらくなら犯罪者自身の「罪悪感」に起因する"無自覚の告発"によって、最後は追い詰められることになる。そこに、ポー本人が抱えていた犯罪衝動や破滅衝動、特定の呪物に対するオブセッション、終わることのない自責の念と自罰感情が色濃く反映しているのは想像に難くない。

本アンソロジーの公式サイトでは、ポーが目にした確たる証拠のある本作の霊感源として、第一にマサチューセッツ州で実際に起きた殺人事件に関するダニエル・ウェブスターによる記事、第二にチャールズ・ディケンズの短篇「チャールズ二世の時代に獄中で発見された告白書」(岩波文庫他、所収)が挙げられている。後者に登場する殺人者は、四歳の甥を殺すに至った経緯を強迫的かつ冷静に語るのみならず、不意の来客を迎えて、死体を埋めた墓の上に椅子を置いてごまかそうとするなど、「告げ口心臓」の殺人犯と酷似した行動をとる。ちなみに彼の犯罪を暴き出すのは、心臓でも猫でもなく、二匹の猟犬である。


「愛するお母さん」ブライアン・ジェイムズ・フリーマン

本書のための書き下ろし作品。著者のブライアン・ジェイムズ・フリーマンは、前出のリチャード・チズマーが立ち上げたホラー専門出版社〈セメタリー・ダンス〉社に、二〇〇二年に採用された「最初の(チズマーの)家族ではない従業員」二人のうちの一人である。

本作は、著者が銀行のドライブスルーで待っているとき、完全に完成された形で唐突に頭に浮かんできたという。彼がしなければならなかったのは、ただ家に帰って、それを書き留めることだけだった。

なお本作のラストの鮮やかさは、著者自身の筆致の巧みさに由来するものであることはもちろんだが、「青いエアコンプレッサー」と「告げ口心臓」という似た構造の作品を先に置いて読ませる編者リリヤの「見せ方の巧さ」も、ミスディレクションとして大いに機能していると思う。


「キーパー・コンパニオン」ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト

代表作『MORSE--モールス』(早川書房)で、青春小説とホラーを見事な形で融合してみせたヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト。その意味では、まさに「キングの後継者」と呼ばれるにふさわしい作家の一人である。

本作でも、実際に多くの若いプレイヤーたちを虜にして止まないテーブルトークRPG「クトゥルフの呼び声」をフックとすることで、生々しい思春期性とコズミック・ホラーを巧みに接ぎ木することに成功している。ヤン・ギィユーの『エリックの青春』(扶桑社)が二百万部を超える国民的ベストセラーになるなど、スウェーデンにはもともと青春小説の豊かな伝統があるのも強みだろう。

ここで描かれるクトゥルフの怪物は、少年の自意識ないしは肥大したエゴの具現化・実体化と見るべきものだ。「怪物」に仮託しながら、リンドクヴィストは思春期特有の全能感と、やがて訪れる蹉跌を、驚くほど細やかに表現してみせる。

著者自身、「クトゥルフの呼び声」のキーパーを何度も務め、いつかこれについての小説を書いてみたいと思っていたそうだ。本作は本書のための書き下ろしだが、基本のアイディアはすぐに浮かび、直後にラストの趣向についても思いついたという。

ちなみに本作に登場する架空の禁書『妖蛆(ようしゅ)の秘密』は、キングの短篇「呪われた村」(『深夜勤務』扶桑社ミステリー所収)や、『心霊電流』(文藝春秋)でも重要なアイテムとして登場する。本書編纂の意図とメインの読者層を意識した、実に粋なはからいではあるまいか。けだし、アンソロジーのを飾るにふさわしい傑作であると言えよう。

(扶桑社書籍編集部)


2020年9月 9日 10:20 | | コメント(0)

カッスラー追悼の連続刊行企画第3弾(7月末発売、8月10日奥付)は、

なんとあの名作『タイタニックを引き揚げろ』(上・下)の復刊です!

 

2月にカッスラーが逝去してからすぐ、われわれは復刊を目指して動き出しました。

コロナの影響があり、再契約までには結構な時間がかかりましたが、巨匠カッスラーの代表作を、装いも新たに読者の皆様にお届けすることができて、版元としてもたいへん嬉しく思っています。

底本となる2007年の改版(なんと52刷!)がどうしても入手できず、新潮社のご担当者様にもお世話になりました。その節は本当にありがとうございました!

 

タイタニック ブログ用.jpg

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あらすじはこんな感じです。

 

大統領直轄の秘密機関メタ・セクションのメンバーは、とある鉱石の行方を長らく追っていた。

敵国のミサイル攻撃を瞬時にして無効化しうる防衛システム「シシリアン計画」を遂行するためには、稀少元素ビザニウムの入手が不可欠なのだ。

しかし、ソ連のノバヤゼムリヤ島にあるとされるビザニウム鉱石の調査に彼らが送り出した科学者コプリンは、巡回兵の銃撃にあって瀕死の重症を負う。

危地に陥った彼をすんでのところで救い出したのは国立海中海洋機関のエージェント、ダーク・ピットだった!

やがてピットたちは、20世紀初頭にビザニウム鉱石がすでにロシアから持ち出され、超豪華客船『タイタニック』号の船艙に積みこまれていたという情報を摑む。

伝説の沈船引き揚げという難事業を決意した彼らは、4000メートルの海底に眠る巨船をついに発見するに至るが、ソ連工作員の暗躍による殺人や事故に見舞われ、引き揚げ作業は困難を極めることに......。

 

作品の評価や立ち位置については、解説で寶村信二さんが詳細に記してくれているので、付け加えることはあまりありません。ただ、何点か見逃しがちかなと思われるポイントを、列挙しておきます。

 

まず第一に、本作は1976年に書かれた作品でありながら、時代設定は1987年~88年となっています。

すなわち一般に誤解されがちですが、『タイタニックを引き揚げろ』は、同時代性に立脚するリアルな冒険アクションではありません。「近未来を舞台にしたSF冒険活劇」なのです。

沈船引き上げの醸し出す圧倒的なリアリティに比して、カッスラーの持ち出してくる架空の元素物質、架空の防衛兵器は、それなりに漫画チックですらあります。

カッスラーは、1970年代のマイケル・クライトン同様、その後のジェイムズ・ロリンズやダン・ブラウンといったSF/偽史的要素の強い冒険小説群につながるような路線の開拓者だったともいえるのではないか。そんなことを思っています。


第二に、本作はいわゆる「アメリカ的」なエンタメ冒険小説の源流にあたる作品でもあります。

すなわち、トム・クランシーや数多の退役軍人作家たちによって、その後綿々と引き継がれることになる、米国の正義を信じ、高らかに歌い上げる「明朗で痛快な」冒険小説の初期の結実であるということです。

共産主義への明快な敵意と、愛国正義という信条へのゆるぎない信頼。大統領が善玉サイドのキーパーソンとして登場し、主人公も出世するにしたがって国家中枢へとどんどん近づいていく(笑)。そういうヒーロー像を普遍化、大衆化したのが、カッスラー(とその同世代の作家たち)だったように思います。

また、ダーク・ピットの「悩まない」「揺れ動かない」「影のない」スーパーマン的な属性は、「快男児」小説の伝統を受け継いで、スタローンやシュワルツェネッガー、ブルース・ウィリスに代表される「80年代ダイハードヒーロー」の時代を先導し、ひいてはスティーヴン・ハンターの登場をうながしたともいえるかもしれません。

少なくとも、英国的な冒険小説(念頭においているのはギャビン・ライアルとかジャック・ヒギンズの書いた翳りのある作品群ですが)とは異なる、純粋に娯楽として供給されるエンターテインメント一直線のアクション・アドベンチャーを、米国の土壌に根付かせた立役者のひとりだとは言っていいのではないでしょうか。

 

第三に、本作のテーマである「タイタニック沈没事故」が、日本人にとっては想像もつかないほど欧米人にとって「心のどこかを掻きたて、何かをそそる」、思い入れの深い題材であることも忘れてはなりません。

「文明への警鐘」であるとも言われた海運史上最大の悲劇は、西欧人の心の奥底に今も深く錨をおろしています。タイタニックとは、彼らにとって癒しがたい精神的外傷であり、同時に取り返しのつかない過去を孕んだ、永遠のロマンと郷愁の源でもあるのです。

そんななか、カッスラーが提示してみせた「タイタニックを引き揚げる」という即物的かつ直截的な行為は、エンターテインメントの世界で西欧人の「精神的外傷」を癒やしてくれる、ド直球の胸のすくような究極のアイディアだったのではないでしょうか。

 

最後にもう一点、彼がその後、巨額の印税収入をつぎ込んで、実際にNUMAを設立し、沈船引き揚げで多大な成果をあげてきたという事実も見逃せません。彼は生粋の「行動する作家」であり、自らが作り出した架空の世界を、自らの財力で現実世界に移植してみせた、ディズニーばりの「夢の実現者」でもあるのです。

この自作と現実をオーバーラップさせるカッスラー的感性は、シリーズそれ自体のあり方とも呼応していて、たいへんに興味深いところです。

彼は、自分の分身ダーク・ピットを主人公に据えてシリーズを書き続けながら、作中に「同姓同名」の息子ダーク・ピット・ジュニアを登場させています。通例、同じ名前の主要人物を出すようなややこしいまねをする理由はなく、おそらくなら当初の目論見としては、父親の加齢に伴って自然と代替わりでもさせるつもりだったのでしょう。しかし、その切り替えは結局うまくいかずに、ダーク・ピットものは「同じ名前の父子が活躍する共演もの」へと移行しました。

一方で、主人公と同じ「ダーク」という名の息子(というか、自作のヒーロー名に息子の名前をつけたんですね)を「共作者」として、長らくいっしょにダーク・ピット・シリーズを書き継いできたという「現実」があります。ここでも、作中世界は現実世界へと越境し、執筆状況と深くリンクしているわけです。

親子鷹が描く、親子鷹。

カッスラーは、ダーク・ピットのようにNUMAを率いながら、ダーク・ピットのように執筆というプロジェクトに息子と挑む。

カッスラーの周囲では、そうやって現実と虚構が相互にリンクしあい、現実世界における継承と、架空世界における継承が同時に進行してきたのです。こういうケースはあまり他にはないような気がします。

 

さらにいえば、カッスラーは、息子を後継として育てて作家業を継がせることを衒いなく実行した人であると同時に、共著者を積極的に立ててシリーズを多数動かしていくスタイルの確立者でもあり、実はアメリカ出版界のビジネスモデルとキャリアのあり方と道徳観(出版倫理)それ自体に、多大な影響を与えた人物ではないかとも考えるわけですが、その話はまたいずれ別の機会に、もう少しきちんと調べてから深めてみたいと思います。

 

なんにせよ、『タイタニックを引き揚げろ』は、今読んでも十分楽しめる、極上のエンターテインメントです。

たしかに、ウーマン・リブの扱いかたには時代感が出ている気がするし、現在の愛妻家ぶりからは想像もつかないダーク・ピットのは色男ぶりには軽くひきますが、タイタニック引き揚げシーンの興奮や、潜水艇での緊迫した密室アクションは、今読んでもまったく古びていません。

それと、個人的には上巻で二度、「すべて、非常に初歩的なことですよ」(ダーク・ピットの言葉、150頁)、「初歩的な推理ですよ」(楽器の修復家ボーゲルの言葉、234頁)という言い回しが出てくるのは大変気になります。これはいわゆる「エレメンタリー」というやつで、ホームズの決め台詞なわけですね。そういえば、本作には意外と「謎解き」の要素がありますし、「意外な犯人」の要素もあります。ダーク・ピットのキャラクター造形やカッスラー流の海洋冒険小説の構成要素に、ホームズや謎解きミステリーのエッセンスが入っていると思うと、なんだかわくわくしてきませんか?(どうでもいいって言わないでw)

 

なお巻末には、解説の寶村さんのご尽力により、弊社のカッスラー作品で初めて、新潮さん・ソフトバンクさんの作品も含めた、カッスラーの小説リストを掲載いたしました。(寶村さん、ありがとうございます!)

ぜひこのリスト(と古本屋)を活用していただき、ぜひ旧作も含めて、カッスラーという巨星の業績を改めて振り返ってみてもらえたら、と思います。

 

さて、扶桑社から出る次のカッスラーは、11月末に刊行予定のファーゴ夫妻もの、『The Gray Ghost』です。クラシック・カーの熱狂的マニアでもあったカッスラーの趣味全開の一作! こちらもぜひお楽しみに!(編集Y)

 

 

 

 

 

 

2020年9月 9日 06:58 | | コメント(0)

クライブ・カッスラー追悼三作連続刊行、6月末刊行(7月10日奥付)の第二弾は

『ケルト帝国の秘薬を追え』(上・下)。

お待たせいたしました! 共著者は息子のダーク・カッスラー。カッスラーにとってのメイン・シリーズ、ダーク・ピットものの最新作。 『黒海に消えた金塊を奪取せよ』以来、2年ぶりの登場です!

 

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あらすじはこんな感じです。

 

中央アメリカのエルサルバトルにある発電用ダム周辺の村で、少年たちが次々と謎の死を遂げる。そんな折、ダムが何者かによって爆破され、さらには国連から派遣された研究者たちのキャンプが襲撃を受け、全滅する。

偶然居合わせたNUMA(国立海中海洋機関)長官ダーク・ピットと相棒のジョルディーノは、事件に巻き込まれることに。

一方、デトロイトの水路では、故意と思われる貨物船によるタンカー衝突事故が発生。NUMAは沈船引き揚げに協力するが、ダイバーが不審な死を遂げて......。

世界の各地で勃発する水難事故と、その周辺で発生する謎の疫病。

エジプトで遺跡発掘に立ち会っていたダーク・ジュニアとサマーの兄妹は、すべてを解く鍵が、三千年以上も前にエジプトを脱出した王女メリトアテンの秘薬〈アピウム・オブ・ファラス〉にあることを知る。

一方ピット夫妻は、招聘されたスコットランドのネス湖畔である恐るべき陰謀と直面することに......。狂気の世界転覆計画をピットは阻止することができるのか? 

 

今回の敵は、世界中で水にとある「毒」を撒くことで、人間の生物としての摂理を根源から変えてしまおうと目論む巨大企業体。

スコットランドのネス湖にある敵の本拠地に招待されたダーク・ピット夫妻は、かの地で思いがけない危機に巻き込まれることに。一方、そこに、古代エジプトから伝わる秘薬の探求がからんで、エジプトにいた双子のピットきょうだいも参戦します。

タイトルの「ケルト帝国」というのは、このエジプト王女メリトアテンが、エジプトを脱出して葦舟で遠路はるばるたどり着いた先がアイルランドという話になっていて、そこで「ケルト帝国」を創設したからなんですね。ちゃんと本作では、アイルランドでの王女の墓所探しの冒険も出てまいります。

 

きょうび、なかなかに刺激的(?)な敵の動機の設定(結構すごいこと考えてる)に、「カッスラー」らしさがほのみえますが(笑)、大風呂敷をひろげたあげく、思いがけない科学ネタと思いがけない歴史ネタを強引に結びつけて、意外な歴史の真実をまるっと構築してしまうカッスラー親子の豪腕ぶりは本作でも健在です。

手に汗握る展開、炸裂する衝撃の奇想。

これぞカッスラーの真骨頂! ぜひお楽しみください。

 

なお、ダーク・ピットものも、まだ終わりません!

すでに『The Devil's Sea』のタイトルで、本国では来年発売予定で作業が進行しておりまして、ちゃんとクライブ・カッスラーとダーク・カッスラーの連名表記となっています。

実は弊社では、現段階での原稿をすでに入手しておりまして、翻訳者の中山先生によれば、「今回の作品の主な舞台は、南シナ海とフィリピン海を結ぶルソン海峡を中心に、中国、台湾、インド、京都などで、チベットやヒマラヤ山脈の氷河も重要な役割を演じている」とのこと。

日本の軍艦が登場し、ダライ・ラマも活躍するダーク・ピット・シリーズ最新刊。

引き続き、弊社よりお届けできればと考えております。乞うご期待!(編集Y)

 

2020年9月 9日 06:02 | | コメント(0)

今年2月にお伝えした、冒険小説の帝王クライブ・カッスラー逝去のニュース。

すでにご高齢だったとはいえ、なんだかいつまでもお元気なまま、現役で書き続けてくれそうな気がしていたので、訃報に接して本当に驚きました。改めて、心からのお悔やみを申し上げたいと思います。

 

われわれ版元も、何らかの形で追悼の意を表したい。

そこで扶桑社ミステリーでは、もともと予定していたラインナップの順番を急遽一部変更し、3ヶ月連続でカッスラー作品をお届けすることにいたしました。

第一弾となるのが、本書『悪の分身船(ドッペルゲンガー)を撃て!』(上・下)。

オレゴン号シリーズ(共著者はボイド・モリソン)の最新刊が、ついに登場です!

 

悪の分身船 ブログ用.jpg

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あらすじはこんな感じです。

 

大西洋を航行中だった貨物船〈マンティコラ〉が、何者かからの攻撃を受けて消息を断った。

時を同じくして、ブラジル沿岸沖で艦内に異変を生じた米原潜〈カンザス・シティ〉が沈没する。

さらには、中南米で潜入工作中のCIA局員の電子ファイルが盗まれる事件が発生。

CIA幹部のオーヴァーホルトは、局内での情報漏洩を疑い、カブリーヨとオレゴン号のメンバーに

工作員の保護を依頼する。

しかし一連の事件は、カブリーヨを標的とした復讐計画の始まりに過ぎなかった。

巨大な罠が今動き出す!


 

とにかく抜群に面白い。今回は、それに尽きます。

翻訳者の伏見威蕃さんも、

「善と悪が対決するストレートな展開で、手に汗握る場面がこれでもかというくらい連続し、先へ先へと読んでいきたくなること請け合いである」

と述べておられます。

 

オレゴン号シリーズは、ひとつ前の『秘密結社の野望を阻止せよ!』も出色の出来でしたが、複雑な三つ巴の組織戦を描いた前作と比べると、今回はひたすらにシンプル。そこが実にいい。

久々に登場する「同スペックのハイテク船」との大海上戦!

敵は世界征服の野望以上に、カスティーヨ船長とオレゴン号への「私怨」で動いている強烈な「悪」。

カブリーヨを葬りさるために、あの手この手で、敵の魔手が迫ります

本作では、カブリーヨ船長のみならず、上役のオーヴァーホルトも、船の仲間たちも、そして船自身も、今までにないくらいの大ピンチに陥ります。

まさに、シリーズの集大成的な「王道&特盛」の内容。

そして、あっと驚く衝撃のラスト。これは予期してなかった!!

 

カッスラーは本作執筆時にはすでに、自らに残された時間があまり長くないことをはっきり意識していた気配があります。「ここでいったんシリーズに一区切りをつける」、それくらいの気合で、カッスラーは今回の作品に臨んでいます。

だからこその、この緊迫感。ぜひご堪能ください。

 

なお、そうはいいつつも、愛読者の皆様ご安心ください! オレゴン号シリーズはまだ終わりません!!

本国では、シリーズの次回作『Marauder』が、すでにクライブ・カッスラーとボイド・モリソンの共著の形で、アナウンスされています。発売日は本年11月の刊行とのこと。

オレゴン号メンバーの新たなる戦いが見られると思うと、今から期待も大いに膨らむところです。(編集Y)

 

 

 

 

2020年9月 9日 02:05 | | コメント(0)

前の投稿では、本書が世に出るまでの話で終始しましたので、改めまして、作品の紹介をさせてください。

編集者が語るまでもなく、発売から数ヶ月、すでにさまざまな評論家の方から、最大限の賛辞をいただいております。

 

まずは解説の滝本誠さん。

「『コックファイター』は、ウィルフォード小説にあって、いや彼にとどまらない、小説界全体としても、きわめて異色の作品である。ハーマン・メルヴィルが『白鯨』を鯨百科と化したように、ウィルフォードは『コックファイター』を「闘鶏全書」とする――。」(解説より)

 

杉江松恋さんは、

「何度も書くが、中毒者のための小説である。何に。自分の魂に。願望が、欲望が肥大しすぎて他のものが見えなくなった人間は、自分自身であることのみに執着するようになる。一つの道筋を歩くこと以外には何も求めなくなり、やがてはそれ以外のすべてを憎み、世界から消し去ろうとするようになる。」

全文はこちら(Web本の雑誌)

 

吉野仁さんは、

「これは事件や謎をめぐるミステリーでも犯罪者が主役のクライムノヴェルでもなく、プロの闘鶏家を主人公にすえて描いた渾身の闘鶏小説である。むろんギャンブル小説の要素も含んでいるが、個人的には何かもっと大きなジャンルでくくりたくなる作品だ。断っておくが、暗く歪んだ情念だの陰惨な社会の闇だのといった面はないので、そのあたり(ある種の?)ノワール嫌いの方にも十分薦められる物語だと強調したい。」

全文はこちら(翻訳ミステリー大賞シンジケート)

 

ストラングル成田さんは、

「ミステリかと問われればミステリではないのだが、未知の世界の情報小説的側面と骨太のストーリーラインが相まって圧巻の面白さ。闘いに不適な鶏の膝から下を斧でぶった切るような強烈なシーンもあるが、クールながら饒舌な語り口もあって、奇妙な明るさを湛えている。」

全文はこちら(翻訳ミステリー大賞シンジケート)

 

酒井貞通さんは、

「ミステリめいた事件はほとんど起きない。にもかかわらず、ギャンブルと攫千金と、何より闘鶏という残酷な行為に魅入られた男の営みは、全てが完璧にノワールである。悪漢である。ピカレスクの空気が濃厚である。」

全文はこちら(翻訳ミステリー大賞シンジケート)

 

霜月蒼さんは、

「まず何より7章がすばらしい。本筋から見るとやや脇道にもみえるパートだが、ここだけ抜粋して「ハム&エッグス」というタイトルで短編小説にしても奇妙な行動原理を抱えた男を主人公とした仄暗い音楽小説として成立すると思う。ここを読むだけでも本書を読む価値がある。」

全文はこちら(翻訳ミステリー大賞シンジケート)

 

 みなさん、いかがです? すごく読みたくなってきたでしょう??

 

『コックファイター』は闘鶏をめぐる小説であり、狭義のミステリーの枠に収まるものではないかもしれません。でも、主人公の生き方や行動原理の描写、世界の描き方は同時代の「ノワール」小説とほぼ一致し、その延長上で愉しむことは十分に可能です。

まずは「闘鶏」が、本書の舞台となる1960~70年代の時点で、すでに全米の大半の地域で「禁止」されていた「アングラ」な競技だったということを、改めて確認しておきたいと思います。

 本書に登場する男たちは、去りゆく時代と血腥い闘争への憧憬にしがみついて生きている、アウトロー寄りの危ない連中――少なくとも本書に登場するメリー・エリザベスら「良識派」からは、そう思われているわけです。『コックファイト』という言葉からは、ある種の男根主義的なメタファーを感じ取ることもまた可能でしょう(ニワトリに仮託して「コック」を切り落とし合う競技)。

さらには吉野さんも言及されているとおり、「ギャンブル小説」の系譜においても本作は重要な作例といえます。弊社ではかつて『ハスラー』(ウォルター・テヴィス、1959年)、『シンシナティ・キッド(リチャード・ジェサップ、1963年)という二大(?)ギャンブル小説(前者はビリヤード、後者はポーカーがテーマ)を出版した過去がありますが、周囲の反対を押し切って「男の夢」を追い続ける主人公、アウトローたちが育むライヴァル心と友情、学のあるヒロインとの軋轢、無残な敗北から始まる勝利への執念、ストイックなまでの自己研鑽、男のロマンか家庭の幸せかという二者択一、といった組み立ては、ほぼ『コックファイター』と共通します。アルコール依存の問題や、やたらと主人公が長距離バスで行ったり来たりする時代背景などもとてもよく似ていて、ぜひ(古本ででも)合わせて読んでもらえると、きっと楽しんでいただけると思います。

 

同じ著者の作品である『拾った女』と読み比べていただくのも、いろいろと発見があって一興かと思います。

まず『拾った女』のハリーと、本書のフランク、ふたりの主人公の人物造形がどこかよく似ている。

アウトローに見えて、やたら細かなマイルールに縛られている点。実は芸術的才能が豊かで、プロとしてやっていけるくらいの手技を持っている点(それを披露することに変に後ろ向きなこだわりがある点)。人好きするキャラかと思って共感しかけていたら、唐突にドン引き必至の残虐な行動をとったり、意外な女性関係が後から明らかになる点(信頼のおけない話者)。相手からもらうお金に対して奇妙にストイックで、すぐ返したり受け取らなかったりする潔癖さ、意固地さ。ハリーとフランクは、結構な似た者同士だと編集者は思います。

また『拾った女』では、ハリーがとある属性のせいで、街のあちこちで冷たい仕打ちをうける描写がでてきますが、『コックファイター』のフランクの場合は、沈黙の誓いを立てているせいで、周りからは失語症だと思われているところがキモでして、そのせいで相手に軽んじられたり、逆に聴罪師さながら「秘密の吐き出し口」のような扱いを受けたりします。両者は「差別」という裏テーマにおいて、それぞれ独特の立ち位置を占める存在なのです。

 

ノワール的な観点でいえば、『拾った女』のハリーの場合、彼が見せる得体の知れない「死への傾斜と自死衝動」が、全編を通じての「闇」の基調となっていました。

『コックファイター』のフランクの抱える「闇」は、その「語り」に遍在します。

彼は沈黙の誓いを立て、2年以上にわたって声を発することなく生きてきた人間です。ところが、本書で記述されるフランクの一人称は、あまりに饒舌で、多弁。書く手紙もまあまあキモい(笑)。

「ミスター・サイレンス」がとめどなくしゃべくりつづけるという、ひねくれた一人称小説。このねじれた構造にこそ、ポップな「狂気」が包含され、主人公のノワール属性が過たず刻印されているのではないか。編集者はそう考えるわけです。

そこには、乾いたユーモアと、闇に傾斜する狂気と、血なまぐさい哲学と、あっけらかんとしたスポ根テイストが、奇妙に混交した形で同居しています。

 

ろくでなしだけど、どこか嫌いになれない、信念の男フランク。

彼の導きで、いまだかつて見たことも聞いたこともない「闘鶏」の世界の一端を垣間見る。それは大いなる愉しみではないでしょうか。

『コックファイター』は、きっとあなたに極上の読書体験を提供してくれるはずです。

 

そして、小説を堪能したら、ぜひ映画版(1974年)もどうぞ。

監督はモンテ・ヘルマン。天才映画プロデューサー、ロジャー・コーマンが手掛けた作品のなかで、興行的失敗に終わった稀な作品のひとつと言われていますが(他に彼が携わって赤字に終わった作品としては、チャールズ・ボーモント原作&脚色&出演でコーマン自身が監督した、黒人差別を告発する社会派映画『侵入者』(1962年)が知られるくらい)、現在ではカルト・ムーヴィーの傑作として、不動の評価を確立しています。

脚色には著者のチャールズ・ウィルフォード本人があたり、作中にはかなり重要な役(エド・ミドルトン)で出演まで果たしています(当時、作家本人が脚本を担当したり出演したりするのは、比較的よくあることでした。作家とハリウッドの距離が今より近かったんですね)。主演のウォーレン・オーツは、サム・ペキンパー監督の映画の常連であり、そのなかで、時代に取り残されたまま男の誇りに殉ずるキャラクターを繰り返し演じてきた名優。フランク役にはまさにぴったりの配役だといえるでしょう。

 

最後に、お詫びと訂正のお知らせです。

本書カバー裏の説明冒頭で、「1960年代のアメリカ南部」とありますが、これは正確な表記ではない、とのご指摘が訳者さんよりありました。

本書は1962年に初版のペーパーバック版が出版されていますが、1972年の再版で、全体にわたる改筆が行われ、初版における「第二次世界大戦」を思わせる描写が「ベトナム戦争」を思わせるそれに書き換えられるなど、再版時の時代風俗に合わせた変更が随所でなされています。なので、「1960年代」と明記するのは確かに正確ではありませんでした。お詫び申し上げます。

とはいえ、必ずしも年を確定できるような描写はなく、「だいたいそんなあたりの時代を扱った小説」だと思って読んでいただくのが一番であろうかと存じます。

以上、ご留意いただければ幸いです。(編集Y)

 

2020年9月 8日 20:45 | | コメント(0)

またもブログの更新が長らく滞ってしまい、本当に申し訳ありません。

ようやく怒濤の責了ラッシュが終わり、なんとかゲラ作業に一息つけたこともあり、この数ヶ月で送り出した扶桑社ミステリーを順にご紹介していきたいと思います。

まず、4月末の新刊。

新型コロナ禍に世界が見舞われるなか、息詰まる巣ごもり生活を強いられる日々において、「物語」は、不安をやわらげ、孤独を癒やし、退屈に寄り添ってくれる、最良の娯楽のひとつです。

とにかく、面白い小説を届けたい。

そんな思いもこめて、連休のさなか一冊の新刊を発売いたしました。

チャールズ・ウィルフォード『コックファイター』、もう読んでいただけたでしょうか。

 

タイトルに聞き覚えがある方もいらっしゃるでしょう。

そう、本作は、ロジャー・コーマン製作、モンテ・ヘルマン監督の伝説的カルト・ムーヴィー「コックファイター」の原作本なんですね。

 

Cockfighter cover2.jpg

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あらすじは、こんな感じです。

舞台はアメリカの南部。フランク・マンスフィールドはプロの闘鶏家だ。
生涯の目標である最優秀闘鶏家賞のメダルを手にするまでは、
誰とも口を利かないという沈黙の誓いを立てて、
闘鶏に文字通り命を懸けて生きてきた。
サシの勝負で敗れ、最後の鶏まで喪って文無しになったフランクは、
復活を期して再び動き始めるが......。
乾いたユーモアと血腥い戦いの美学に彩られた、これぞ「男」のノワール。
ロジャー・コーマンの伝説的カルト映画原作にして
巨匠最大の問題作が、遂に邦訳なる!〈解説・滝本誠〉

 

本作に関しては、作品のご紹介をさせていただく前に、その発売の経緯について、ぜひお話ししておきたいと思っています。

実はこの本、訳者さんの魂のこもった「持ち込み原稿」が、商業出版にまで結びついた稀有なケースだったのです。

 

昨年の7月末、編集者のところに、むかし新潮社にいらっしゃったというフリーの編集の方から一本の連絡がはいりました。

「じつはチャールズ・ウィルフォードを勢いで全訳しちゃった知り合いがいるんですが、扶桑社さんは、ウィルフォードの『拾った女』を出しているけど、版権をおさえていたりはしますか?」

訊けば、小説の翻訳自体ほぼ初めてのチャレンジで、しかも訳出したのはまさかの『コックファイター』だとおっしゃる。

生まれてはじめて翻訳した小説が、『コックファイター』・・・・ですと??

 

このとき、編集者はどうしたかといいますと、中身も見ないで「お断り」したのでした。

いまとなっては汗顔の至り。とはいえこういうケース、残念ながらお断りするケースが大半です。

一般の方が訳されて(あるいは執筆されて)いきなり持ち込んできた原稿が、商業出版に見合う水準で仕上がっているということは、読者の皆さんが思っているより、とてもとても稀有なことなのです。

あと、ウィルフォード作品を出している出版社として、『コックファイター』はいつか出す可能性のある本。ここで原稿を拝見してしまうと、逆に別の翻訳者にお願いしづらくなるということもありました。

 

結局こちらからは、十年留保という制度に当てはまりそうなので、無版権でどの出版社からでも出せるだろうということ、うちからだと文庫でしか出せないので、むしろ文芸や映画関連の版元さんから、2500円とかつけて単行本で出したほうが安全なのでは?といった話を差し上げて、具体的な版元名をあげてご紹介したうえで、いったん先方に話をお預けしたわけです。

 

で、8月19日。今度は、今もいつもお仕事をお願いしている、かつて同僚だった元編集者から連絡がはいりました。

「なんか、作家の中原昌也さんからの紹介でコックファイターの原稿が回ってきたんですが、読まれます?」

中原昌也さん? なんで中原さん?? 

訊けば、中原さんに原稿を渡したのは、俳優の加瀬亮さんらしく、加瀬さんは翻訳者さんの親友らしい。

加瀬亮さん?? 加瀬さんとマブダチって??

とにかく、はっきりしているのは、下記の事実。

どうやら信じがたいことに、別ルートで、同じ原稿が「二回」うちに持ち込まれてきたらしい(笑)。

 

これは、運命的なものなのではないだろうか?

さすがに編集者は、そう思いました。

 そこで、初めて翻訳者さんにこちらから連絡を差し上げて、これから原稿を読ませていただくことを直接お伝えしたのでした。

とはいえ、実際に読み始めるまではそこそこ時間がかかったし、実際には平行して翻訳者さんには複数の版元にもあたってもらったのですが(当然、単行本で出せたほうが翻訳者さんの実入りはいいはずなので)。

いざ読み始めて驚いたことには・・・訳文がデビュー翻訳にして、ほぼ完成されている!!

こんなこと、ホントにあるんだろうか? 衝撃を受けました。

翻訳学校に行ったわけでも、翻訳関連の仕事をされているわけでもない方が、独力でここまでノワール感たっぷりの洗練された訳文を、一冊にわたって緩むことなく紡げるものなのか。これはよほどのことだ。

しかも、小説としても抜群に面白い。

『拾った女』の次の紹介作とするのに、なんの不足もない。

こわごわ打診すると、販売部もうまく乗ってくれました。

こうして紆余曲折を経て、『コックファイター』は、扶桑社から出ることになったのでした。

 

編集者として、本書を製作するにあたって、ひとつ心に決めたことがありました。

この本は、翻訳者である齋藤さんの本である、ということです。

単なる持ち込みではない。『コックファイター』という小説に惚れ込み、自ら動いて、人を動かし、ついには出版の権利を勝ち取った、齋藤さんの本だということ。

しかも、訊けばこの本の初版本をアメリカ土産として齋藤さんに渡したのは、親友の加瀬亮さんらしい。これは、男と男の熱い友情が生みだした翻訳でもあるんですね。

なので、本書に限っては、カバー周りの装丁も文言も、すべて齋藤さんに確認しながら進めることにいたしました。で、いざ作業を始めてみると、齋藤さんのほうには、この本の仕上がりに関する明確なヴィジョンがあるんですね。こういう本にしたい、という。ぶっちゃけカバー周りのデザインは、ほぼほぼ齋藤さんの指定です!

加瀬亮さんも大変に協力的で、帯案は、採用したものも含めて2案出してくださいました。(あと、なんと、直筆のカバー案まで出してこられました!)

もちろん、編集者としてもある程度訳文には関与しましたし、解説をぜひにと滝本さんに頼んだりもしましたが、この本が読者の皆さんの心を強く動かしたとしたら、それはひとえに齋藤さん(と加瀬さん)の『コックファイター』にかける想いの強さと、ウィルフォード愛に由来するものだと思います。

こうして、ウィルフォードの一風変わった「闘鶏小説」、『コックファイター』は、世に出ることになったのでした。(続く) (編集Y)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

2020年5月12日 08:59 | | コメント(0)

また更新が間遠になってしまって、申し訳ありません。

まずは、先月に刊行したクライブ・カッスラー&グラハム・ブラウンの新刊『気象兵器の嵐を打ち払え』(上・下)のご紹介から。

本年2月に逝去した海洋冒険小説の第一人者が贈る、

カート・オースティンが主役を張る〈NUMAファイル〉シリーズの弊社における第2弾。

新潮社さんから数えて、通算第10弾となる作品です。

 

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あらすじはこんな感じです。

 

インド洋を漂流する焼けただれた船が発見された。

水温調査をしていたNUMA(国立海中海洋機関)の双胴船だった。

サルベージと真相究明にモルディブへ向かったオースチンらNUMA特別出動班は、船体の燃え滓の中に異常な物体を大量に見つける。

顕微鏡を覗いてみれば、まるで微小な"機械"のようにも見えるが、これは......。

出動班の面々は手がかりを求め、電子の神と称されるエンジニアにして環境保護主義者のマルケッティのもとに急ぐが、彼らはそこでさらに大きな脅威を目撃することになる。

マルケッティが根城とする人工島で浮かび上がってきたのは、気候の改変を目論む一派の存在だった。

地球環境が激変すれば、あまりにも多くの人間の生活が破壊されることになる。

人工島へ送り込まれた刺客を振り切ったオースチンと相棒のザバーラは、首謀者と目されるイエメンの実業家のもとへ急行する。

待ち受ける危機の連続を知恵とガッツと軽口で乗り越えながら、ふたりは野望粉砕に突き進む。

含み笑いを携えて、カッスラー活劇が最高速度で展開する、"NUMAファイル"シリーズ第10弾。

 

今回のお題は、ナノマシンを用いた「気象兵器」

気象兵器ときくと、嵐を呼んだり、雷撃を放ったりといった魔法のような力の行使を想起する人が多いかもしれません。

しかし今回の敵は、どちらかというと「人喰いアメーバ」のような、不定形の怪物に近いものです。

冒頭で、NUMAの調査船が怪現象に見舞われ、メアリー・セレスト号事件さながらの状況で発見されます。これを引き起こしたのが、くだんの「気象兵器」なんですね。

敵は、この気象兵器を用いて世界を支配しようとする、イエメンの大富豪。

その野望を阻止するべく、快男児カート・オースティンと盟友ジョー・ザバーラが大活躍するというわけです。

作品としては2012年の作品ですが、まさに今にぴったりの「気候改変」ネタ。

カッスラーは、最新のテクノロジーと、最新の社会情勢を作品に組み込むことに、常に尽力してきた作家でした。

 

このあと、追悼めいた形にはなりますが、6月、7月とカッスラー作品の刊行が続きます。

まずは、6月1日発売で、オレゴン号シリーズの最新刊『悪の分身船(ドッペルゲンガー)を撃て!』(上・下)(原題『Final Option』)が発売されます。

翻訳者の伏見威蕃さんが、ここしばらくではダントツに面白いと太鼓判を押す、大傑作!

最強の敵が現れ、ファン・カブリーヨ船長とオレゴン号の仲間たちが、シリーズ最大の危機に見舞われます。

ある意味「節目」となる作品(意味深)。

終盤には、衝撃的な展開が待ちうけています。

ぜひお楽しみに!(編集Y)

2020年5月12日 08:14 | | コメント(0)

 ケン・フォレットの『火の柱』(上・中・下)

 

あの世界2000万部の大ベストセラー、

『大聖堂』『大聖堂―果てしなき世界』の正統なる続編。キングズブリッジ・シリーズの最新作、待望の登場です!

上・「中」・下巻構成ですので、お間違えのなきよう!

 

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本書は、扶桑社ミステリーから発売されてはいますが、いわゆる「歴史小説」です。(当然、謎解きの要素や冒険の要素はあります)。

舞台となる街は『大聖堂』『大聖堂ー果てしなき世界』と同じですが、今回は大聖堂を建てる話ではありません。

時代も前作から数世紀過ぎた16世紀に設定されていて、前作とは基本お話のつながりはなく、本書から読んでいただいてまったく差し支えありません。

ただし節目節目で、あの大聖堂が祝祭と悲劇の舞台となりますし、前作の登場人物の子孫が登場したりはしますが。

途中から、お話はイギリスを飛び出して、パリやセヴィーリャ、スコットランド、カリブ諸島、アントワープなど、各地で様々な登場人物が、仕事や宗教、人生の苦難、運命の愛にそれぞれ直面することになります。

 

先に言っておきます。

 

こんなに読んでいて無性に先が気になり、

ほとんど力ずくで夢中にさせられた本は

編集やってて本当に久しぶりかもしれません。

 

さらにいえば、

この「分断の時代」に、これほど皆さんに読んでほしい本もありません。

ここで描かれるプロテスタントとカトリックの壮絶な対立と闘争の歴史は、そのまま、21世紀に現出した西洋対アラブ、あるいは保守対リベラル、穏健派対強硬派といった、現代社会の「写し絵」にほかならないからです。

登場人物たちの苦悩は、そのまま、今の時代に生きるわれわれの苦悩でもあります。

 

フォレット、マジぱねえ!

商売上のリップサーヴィスではなく、正真正銘「一読者」としての編集者の感想です。

歴史小説としても、恋愛小説としても、一人の若者の一代記としても、まごうことなきランクAクラスの傑作!

こんなに面白い本を、扶桑社から出てるからってだけの理由で読まないでおくのは、本当にもったいない!! そう思います。

 

上巻出だしのあらすじはこんな感じです。

 

 16世紀中葉のイングランド。大聖堂を擁する河畔の商業都市キングズブリッジで貿易を営むウィラード家は、カトリックでありながらもプロテスタントに対しても寛容な家柄だった。一方、商売敵でもあるフィッツジェラルド家は頑ななカトリックで、両家の仲は決していいとは言えなかった。ネッド・ウィラードとマージェリー・フィッツジェラルドは恋仲だったが、彼女の両親の反対にあって引き裂かれる。失意のネッドはサー・セシルを頼ってエリザベス・チューダーの下で仕事をするようになるが...。

 

舞台は16世紀。英仏宗教戦争のまっただなか。

時代に翻弄されるふたりの女王と、市井の人々。

布教、秘密礼拝、暗躍するスパイ、密告、拷問、火炙り。

王族の対立、大虐殺、報復の連鎖、戦争、大海戦、斬首刑。

秘められた愛、非業の死、跋扈する悪、やがて待ち受ける宿命の対決。

すべてが終わったあとに残される、未来への希望。新世界。

ありとあらゆる「物語の醍醐味」が、文庫本で1700ページになんなんとするこの長大な小説のなかでひしめきあっています。

 

とにかく、長年ケン・フォレットを訳してこられた翻訳者の戸田裕之さん自身が、

『大聖堂』に勝るとも劣らない、フォレットの最高傑作だ

とはっきりおっしゃっています。信じてもらって、大丈夫です。

 

かつて『大聖堂』を読まれて、あれはめっぽう面白かったという方にとっては、本書はもちろんマストアイテム。

お読みになって後悔されることは断じてない、と版元として請け合います。

そうじゃない方、ケン・フォレットを知らなかった方、あるいは昔の古い作家だと思っていたという方も、騙されたと思ってぜひ読んでみてください。

たとえ扱っている時代が16世紀であっても、驚くほどヴィヴィッドに「いまのお話」として読める小説ですから。

もちろん、ヨーロッパ史のなかでもとくに難解な時期の宗教と政治の闘争史が、すっきりわかりやすく頭に入ってくるという、歴史小説としての役得もあります。塩野七生さんや北方謙三さんの歴史ものが楽しめる方なら、『火の柱』もきっと存分にご堪能いただけるはず。

小説としては、......とにかく悪役が憎たらしい。これに尽きるかも(笑)。

本書の主人公はネッド・ウィラードですが、ピエール・オーモンドもまた、立派にもうひとりの主人公といっていいでしょう。こういうゆがんだ人間の業みたいなものを描かせると、フォレットは本当に天才的ですよね......。そういえば、出世作『針の眼』も、ある種の悪漢小説でした。

 

長い。そうですね。確かに長い。

それでも、費やされる労力と時間に見合うだけの、至高の読書体験をお約束します。

いろいろ大変な時期で、在宅時間も伸びているであろう今こそ、ぜひこの超大作歴史ロマンをお供に、長い夜をのりきっていただけると幸いです!

(編集Y)

 

2020年3月16日 04:34 | | コメント(0)

われらがジャック・ケッチャム先生が亡くなってから、はや2年。

(そのときの追悼記事は こちら

このたび、扶桑社では命日の1月24日に合わせまして、当然ながら日本全国津々浦々の書店さんでケッチャム・フェアが開催されることを期して、2月頭に著者の代表作&デビュー作である『オフシーズン』を新刊扱いで復刊いたしました!

10年以上にわたって、ながらく品切れ扱いが続いていた本書を、ようやく書店の店頭でみなさんにお届けできるようになったことを、心からうれしく思います!

 

オフシーズン.jpg

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 昨年復刊した『シンプル・プラン』(スコット・スミス 近藤純夫訳)同様、カヴァーは旧作のままで、帯だけ新帯に変更しての復刊でございます。

帯には、愛蔵版公刊時に付されたスティーヴン・キングの推薦文。いわく、

 

『全米一怖い作家は誰だ? きっとジャック・ケッチャムさ。

「オフシーズン」の無修正版を感謝祭の日に読んだら、きっとクリスマスの日まで眠れなくなること請け合いだ。スティーヴおじさんが警告しなかったなんて言うなよ、はっはっは......』

 

風間賢二さんの旧版あとがきは、ケッチャムデビュー当時の空気感と世の中の評価が伝わってくる歴史的価値のある評論ですので、そのまま再録いたしました。

代わりといってはなんですが、訳者の金子浩さんに、ケッチャム逝去後の最新の状況を簡潔にまとめたあとがきを、新たに書いていただきました。

あらためまして、あらすじはこちら。

 

避暑客が去り冷たい秋風が吹き始めた九月のメイン州の避暑地。

ニューヨークから六人の男女が休暇をとって当地にやって来る。

最初に到着したのは書箱編集者のカーラ。すこし遅れて、彼女の現在のボーイフレンドのジム、彼女の妹のマージーとそのボーイフレンドのダン、そしてカーラのかつてのボーイフレンドのニックとそのガールフレンドのローラが到着した。

六人全員が到着した晩に事件は勃発した。

当地に住む"食人族"が六人に襲い掛かったのだ。

"食人族"対"都会族"の凄惨な死闘が開始する。

 

ケッチャムといえばみなさん、『隣の家の少女』を想起される方がほとんどかと存じます。

でも、『オフシーズン』こそは、彼のもう一つの代表作。ゆめ読み逃してはなりません。

デビュー作でありながら、あまりの内容の凄惨さにビビった出版社の検閲まがいの発禁処分にあって、長らく幻となっていた大問題作。

両作を揃えてこそ、ケッチャムという作家は初めて理解できる、といっても過言ではないでしょう。

 

突然ふりかかる天災のような暴力と、繰り広げられる露悪的なまでに過剰な血みどろの惨劇。

苦難に立ち向かう者たちへと向けられる思いのほか真摯なまなざしと、彼らが迎える結末の善悪を超えたある種の絶対的な平等性。

デビュー作には作家のすべてがあらわれる、とはよくいう言い回しですが、まさにここには、ジャック・ケッチャムという偉大な作家の文学的本質が、まざまざと刻印されています。

あと、なんとしても読んでいただきたいのが、〈作者あとがき〉。

出版社とのいざこざを熱い筆致で活写しつつ、ケッチャム自身の口から、自らの作家性のなんたるかがきわめて明快に語られています。

 

さまざまな恐怖と災厄に直面して、誰もが不安におののく今日にこそ、本書はこの苛烈で不透明な世界の真実と向き合う一書になるやもしれぬ、とすら編集者はひそかに考えています。

遺された未訳作をお届けするという編集者&翻訳者さんの野望をかなえる足がかりとしても、ぜひ皆さんのお力添えをいただければ幸いです!(編集Y)

 

 

 

 

2020年3月10日 21:47 | | コメント(0)

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