ガン・アクションの最高峰「スワガー・サーガ」。その魅力、楽しみ方を担当編集者がじっくりと解説します。

スワガー・サーガとは何か。

第一作『極大射程』に始まり、最新作『Gマン 宿命の銃弾』に至る15作の小説群(2017年現在)。
それは、スティーヴン・ハンターという稀代のアクション作家が生み出した、銃と男たちにまつわる戦いの物語です。
あるいは、銃器に愛された男たちの血脈を通じて語られる、「アメリカ自身の物語」といっていいかもしれません。

ベトナム戦争の英雄であり、稀代の天才スナイパーであるボブ・リー・スワガー。
彼がヒーローを務める初期三部作(『極大射程』『ブラックライト』『狩りのとき』)は、まさにガン・アクションの最高峰の名にふさわしい傑作ぞろいです。

とにかくひたすら痛快な銃撃戦。圧倒的に強くてカッコいいヒーロー像。
その一方で描かれるアメリカの暗部と、犯罪者たちの複雑で陰影に富んだキャラクター。
アクション小説には珍しい、修辞に彩られた息の長い硬質の文体。銃器をめぐる細緻で粘着質な描写。狙撃という、どこか崇高で儀式的ですらある「殺しの技」をみっちりと描き出す迫真の筆致。
そして、仕掛けとたくらみに満ちたプロットの妙(どんでん返しもお手の物)。

ここまで、面白い小説があったのか。
刊行当時、日本の冒険小説ファンには衝撃が走りました。
その人気は口コミで広まっていき、S・ハンターの認知度は徐々にあがっていきます。
刊行順で若干の議論を引き起こしつつも(二社にまたがって出版されたために、必ずしも本国での発表順で日本語版が刊行されなかったんですね)、2000年には『極大射程』がついに『このミステリーがすごい』で海外編1位を獲得。ハンターは、押しも押されもせぬトップ作家となったのです。

ところがその後、ハンターは少し意外なシリーズ展開を見せます。彼は、あえてボブ・リー・シリーズを続けようとはせず、代わりに、ボブ・リーの父親であるアール・スワガーを主人公とする作品を三本続けて書いたのです(『悪徳の都』『最も危険な場所』『ハバナの男たち』)。ハンターの意図は明快でした。
彼は、単にアクション小説が書きたかったわけではありません。アメリカ南部の男たちに脈々と受け継がれてきた生き方の系譜、銃と戦争に彩られた、男たちの戦いの歴史を描きたかったのです。

なお、編集者は近頃、スティーヴン・ハンターは比較的マジで、ウィリアム・フォークナーの衣鉢を継ごうなんてことを考えているのではないかと思ったりもしていますが、その話はまた別の機会にでも。ただ、ハンターとフォークナーが、どちらも各作品間で登場人物を連関させる、ある種のスターシステムを採用していることは、非常に示唆的な事実ではないかと考えています。

ともあれ、スティーヴン・ハンターは、自作のヒーローと悪漢たちの血筋を過去へと遡及し、現実のアメリカ史と絡めてゆくことで、自律的に小説世界を発展させ、「スワガー・サーガ」を成立せしめたのでした。あるいは、小説内のキャラクターがおのずから成長、増殖し、アメリカの「男たちの歴史」をかたちづくっていった――そういうと、ちょっとロマン主義的解釈にすぎるでしょうか。

スワガー・サーガの、いったい何が面白いのか。
キャラクター、プロット、戦闘の描写、歴史観。当然、いろんな意見はあるでしょう。
でも、ハンターにしか書き得ない、ハンターならではの魅力という話になると、やはり「銃器」小説としての面白さ――そのことに尽きるのではないでしょうか。
ガンと、ガンにまつわるアイテムと、それを扱うきわめつきのプロフェッショナルたちに対して費やされる、膨大かつ緻密な描写。ここにこそ、ハンターの真髄があるといっていいでしょう。

彼は、『ヒーローの作り方』(オットー・ペンズラー編、早川書房)という人気キャラクター創造の秘密を21人の作家が語った興味深い本のなかで、次のように述べています。

「ライフルへの愛。わたしはこれを、ライフルの物語にもしたいと思っていた。わたしは――いまはもう、すべての読者に知られているにちがいないが、そのときも、それ以前も――ガン・マニアだった。ガン・オタク? 読者諸氏はそう呼びたいとか? ガン・ファンでも、ガン・ガイでも、ガニーでも、ガナーでも、シューターでも、ミスター“サタデイ・ナイト・スペシャル(安物小型拳銃)”でも、なんでもけっこう。好きに呼んでいただいてけっこうだが、事実として、銃器というのは以前からわたしの想像力を喚起してくれる、つねに頼りになる存在だった。」p188‐189、公手成幸・訳

この彼の飽くなきガンへの愛着が、スワガー・サーガを唯一無二の「銃器」小説として成立させています。
「銃器」小説としてのハンター作品の魅力については、『第三の銃弾』所収の、作家・深見真さんによる素晴らしい解説に詳しいところですので、合わせてぜひ読んでいただけるとうれしいです。

作家スティーヴン・ハンターを理解するうえで、もう一つ極めて重要な点は、彼が作家であると同時に、プロの映画批評家だということでしょう。
彼は、「ボルティモア・サン」紙に入社し、その後「ワシントン・ポスト」紙に転籍しつつ、長年にわたって、映画評の欄を担当してきた生粋のシネフィルです。彼は2003年に見事ピューリッツァー賞を受賞していますが、これも映画批評家としての業績に与えられたものです。

この「映画」という要素は、常にハンターの霊感源であり、拠り所でもありました。

編集者が最初に読んだハンターは、実は『ブラックライト』でした。
まだ入社一年目で販売部にいた頃です。

予備知識ゼロで読んでそのとき思ったのは、なんて80年代ダイハード・ヒーロー映画っぽいキャラクターづけなんだろう、ということでした。そして、その潔さにシビれました。
英国冒険小説ふうの人間臭いヒーロー像でもなく、先行するカッスラーやクランシーの提示するアメリカ的ヒーロー像とも若干テイストのちがう、“傑作B級アクション映画的”なスーパー・ヒーロー像。危機が全く危機に感じられないまでの主人公の圧倒的な不死身(ダイハード)ぶりと、能天気なまでに揺るがない不動のメンタリティ&絶対的正義。
そこにあるのは、正しく80年代アクション映画のマシズムと娯楽性を引き継いだ、あっけらかんとしたエンタメの極致でした。
たとえ、大藪春彦並の微に入り細をうがつ銃器描写と、こねくりまわしたフォークナー的文体が「小説」としての結構を支え、ある種の風格と重厚味を与えているとしても、ああ、この人は本質的に映画の人なんだな、と思ったわけです。
で、折り返しの紹介を見て、本業が新聞社の映画評論というアメリカ屈指のシネフィルであることを知り、はたと膝を打ち納得したのでした。

ハンターの書歴は、その実、「男のアクション」と評し得るすべてのジャンルを次々と制圧してきた歴史でもあります。
軍事アクションやエスピオナージュに始まり、『ダーティホワイトボーイズ』の悪漢小説を経由し、スナイパー・アクションをボブ・リー初期三部作を通じてやり尽くしたハンターは、父のアールを主人公に、ギャングものやら(『悪徳の都』)脱獄ものやら(『最も危険な場所』)キューバ革命ものやら(『ハバナの男たち』)にまで手を伸ばします。
これらを“スワガー・サーガ”と呼んで、アクション小説でありながら、アメリカの人と土地と歴史を描いた大河小説として捉える考え方は、既に上で見たとおりです。

といいつつ、一方で、もっとあけすけでリアルな動機もあるんじゃないかという気も個人的にはするわけです。
彼は本質的な部分で、シネフィルであり、クリティークです。
ジャンル・フリークであり、網羅的な達成を重んじるオタクなのです。
おそらく彼の最大のモチベーションは、彼自身が愛するアクション映画(&小説)の世界を、自らの手で再創造したい、という部分にあるのではないか。
だから、スナイパーだけでは、ベトナム戦争だけでは、とても満足できない。
ギャングの抗争もやりたい、太平洋戦争もやりたい。
だから、時代の都合上、父親がひっぱりだされるのです。

父アール・スワガーの生年は、実は作品によって結構異同があるのですが、初出の『ブラックライト』では1910年生まれ。この設定は実のところ、ジョン・ウェイン(1907年生)、ジェームズ・スチュワート(1908年生)あたりとほぼ同年代なのです。

一方、ボブ・リーの生年は、1946年。……誰と一緒かって? 
そう、ボブ・リーは、あのランボー=シルヴェスター・スタローンと同年生まれなのです
ちなみに彼の盟友シュワちゃんは1947年生まれ(ボブ・リーの元ネタとされる伝説の射撃手カール・ハスコックは1942年生まれ)。
アールと、ボブ・リーの背負っている世代感というのは、まさにそのへんなんですね。

ちなみに、スティーヴン・ハンターの生年もボブと同じ1946年だったりします。

アクション映画史における二つのピークを、「サーガ」を設定することでまとめて小説世界にひきこんでしまった、ピューリッツァー賞映画評論家でもあるハンター。
その意味で、彼のメンタリティというのは、映画人でいえばトリュフォーからスコセッシ、タランティーノに至る「評論家あがり」の系譜、ファンが高じて実作者になったひとびとと共通する部分があります。

彼の野望はおそらくなら「面白いアクションのあらゆる“型”を、既存作への限りないオマージュをこめて制圧してゆく」こと。
そこで70~80年代をボブ・リーで、40~60年代をアールでひととおりなぞったハンターが、いまだ未開の領域であり、しかもアクション・マニアとしては垂涎の大ジャンル――「チャンバラ」に目を向けるのはむしろ必然だったのかもしれません。
そして、そのアプローチが、似たタイプであるタランティーノを意識したものであったことも。
こうして生み出されたのが、ボブ・リー・シリーズ復活第一作、『四十七人目の男』でした。

『四十七人目の男』以降、ハンターは『黄昏の狙撃手』『蘇えるスナイパー』『デッド・ゼロ 一撃必殺』『ソフト・ターゲット』と、どちらかと言えば、「映画的」な語り口と発想源を背後に色濃く持つ作品群を、ほぼ年に1冊のペースで手がけていくことになります。これら5作品は、ハンターのシネフィル的な一面が、最も顕著に現れた一群といっていいでしょう。初期作で見られたみっちりした「アクション『小説』」としての味わいは薄れたかもしれませんが、これもこれでハンターの重要な本質の一部なのです。

そんなハンターが、再び「小説的」なナラティヴへと舞い戻った契機になった作品。それこそが『第三の銃弾』でした。ここで彼は、過去に起きた実在の事件(ケネディ暗殺事件)をスワガー・サーガへと組み込むことで、アメリカの歩んできた銃と犯罪と戦争の歴史を、自作の一部として語ろうとします。さらには、第一作『極大射程』と本作を結びつけることで、スワガー・サーガという枠組みそのものを再規定しようとするのです。
このディスカバリー・チャンネル的な「歴史ミステリー+ガン・アクション」小説という趣向は、このあと、『スナイパーの誇り』『Gマン 宿命の銃弾』でも継承されます。前者では第二次世界大戦におけるヨーロッパ戦線、後者では1934年の「ボニー・アンド・クライド」の時代が綿密な時代考証によって再現され、読者はその圧倒的な情報量と著者の分析力と虚実を入れ混ぜた構成の妙に唸らされることになります。

「銃」に魅せられ、「小説」と「映画」のはざまで揺れ動きながら、四半世紀にわたって、ガンマンたちの戦う姿を描き続けてきたスティーヴン・ハンター。そのすばらしい世界を、ひとりでも多くの人に味わってもらえれば、編集者としてこれほど嬉しいことはありません。

駆け足で「スワガー・サーガ」の歴史を振り返ってみましたが、いかがだったでしょうか。
これから随時、各作品のご紹介もアップしてまいりますので、お楽しみに。

 

※なお、Wikiなどを見ると「スワガー・サーガ」という呼称を扶桑社が便宜上創作しているかのような書きぶりですが、本国でもふつうにBob Lee Swagger saga や Swagger familiy saga といった呼称でシリーズ全体をまとめる言い方がなされている(というか、向こうから来る出版社のリリースにもそう書いてある)ので、ちょっと心外です。

 

 

 

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