今月の新刊は、
ドイツ語圏では知らぬ人のいない人気作家でありながら、
いまだ日本での紹介がなかったオーストリア人女流作家、
アレックス・ベール『狼たちの城』。訳者は小津薫さんです。

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あらすじはこんな感じです。

第二次世界大戦の末期、ニュルンベルクのユダヤ人古書店主イザークと家族のもとにポーランド移送の通達が届く。
彼は絶望のなか、レジスタンスに関わっていると聞いたかつての恋人クララのもとに走り、家族が逃走する手助けをしてもらえないかと依頼するが、彼女が彼に用意してくれたのはゲシュタポの特別犯罪捜査官アドルフ・ヴァイスマンとしての偽の身分証だった。
イザークは身分証を受けとってすぐの駅構内で、ゲシュタポの士官からヴァイスマンに間違われたまま本部に連れていかれ、ナチスに接収された城内で起きた女優殺人事件の捜査に臨むことに。
ゲシュタポの深奥部で彼は無事生き抜き、事件を解明することができるのか?


ナチス・ドイツの支配下で、迫害され、生存権をはく奪され、命を喪った多くのユダヤ人。

もしも、そのひとりがゲシュタポの高官と間違われて、組織の内部深くに侵入できたとしたら?
しかも、その高官が名探偵の誉れ高い捜査官で、圧倒的な名声と権力をほしいままにしていたとしたら?
あの大戦下で、ユダヤ人がゲシュタポを顎でこき使って、犯罪捜査に挑んだとしたら?

本書は、そんな破天荒で魅力的な「逆転の構図」をかたちにした、趣向に富んだ歴史ミステリーです。

「ばりばりのエスピオナージュ」でありながら、「名探偵もの」でもある。
意外に、これまでなかったパターンではないでしょうか。

主人公のイザーク・ルビンシュタインは、古書店主を営むインテリのユダヤ人で、妹とその子供たち、両親の5人の家族がいます。数年前まで、ドイツ人の恋人クララがいましたが、今は別れています。ナチスの支配が強まるなか、ふたりで国外に逃げようというクララの誘いを断り、家族をどうしても捨てられなかったイザークは、国内にとどまることを選んだのです。
今は、店も仕事もナチスに取り上げられ、ユダヤ人専用の住居に家族とともに移されています。そこに、ついに送られてきたポーランド移送の通知書。
いよいよ先行きに不安を抱いたイザークは、家族を助けるために、動き出すことにします。
しかしそのとき彼は、自分が起こした行動の結果として、自らがゲシュタポ(ナチスの秘密国家警察)の捜査官アドルフ・ヴァイスマンに成りすますはめに陥るとは、思ってもいなかったのでした・・・・。

イザークは優秀な頭脳の持ち主ですが、決して生まれながらの「名探偵」でも、「英雄」でもありません。
むしろ、気弱で、争いを嫌い、踏み込むことをおそれる、ごくふつうの一般市民です。
きっと何もなければ、何もできないまま、家族とともに命を落としたかもしれない。
でも、環境と特殊な状況が、彼にひとつの役割を与えました。
「名探偵」という役割を。
彼は、必死で、文字通り命がけで、与えられた「名探偵」の役を演じきろうとします。
まわりも、彼を「名探偵」として最大限の厚遇をもって扱います。
そんななか、彼の内面でも、いろいろな想いが変化していくことに・・・・。
人間臭い彼の葛藤と、巻き込まれ型スパイとしての苦闘が、まずはこの物語の読みどころとなってきます。

それから、本書の面白さのひとつに、「名探偵」という装置と「エスピオナージュ」という容れ物が組み合わさったときに生じる、不思議な化学反応があります。

「名探偵アドルフ・ヴァイスマン」としてのイザークは、ゲシュタポの根拠地である城内で起きた女優殺人事件を捜査しなければならない。そこで必要とされるのは、「真実の探求」であり、こんがらがった謎を解き明かす「理性のはたらき」です。
名探偵にとっては、ゲシュタポも、レジスタンスも、両者に直接関係のない幾多の登場人物も、等しく「容疑者」なのであり、等しく平等な存在です。彼は先入観を排除して、フラットに「謎」に挑む必要があります。

一方で、「レジスタンスのスパイ」としてのイザークには、「別の使命」があります。
そのミッションにおいて、ゲシュタポは「絶対的な敵」であり、「究極の悪」であり、ユダヤ人を迫害する憎き存在でしかない。彼は連合軍側の利益のために、たまさか手にした「名探偵としての権力」を行使することすらいとわず、ゲシュタポ内部のとある情報に肉薄していきます。

イザーク・ルビンシュタインは、アドルフ・ヴァイスマンでもある。
彼はもとはただのしがない(元)古書店主ですが、今は「スパイ」でもあり、「名探偵」でもある。
ふたつのペルソナは、物事に対処するにあたって、別の思考回路と、別の解釈と、別の決断を彼にせまることでしょう。
そのとき、彼はどう動くのか。
物語が進むにしたがって、イザークの苦悩は深まっていきます。

同時に、彼の「アドルフ・ヴァイスマン」としての偽の身分は、あまりにも、もろい。
当然、ヴァイスマンのすべてを真似る必要がある、捜査でも下手は打てない、相手との会話でもボロは出せない。しかも、どれだけ頑張ったところで、本物のヴァイスマンを知っている誰かとばったり会っただけでもう、嘘も命もおしまい。すべては終焉を迎えます。
本書のサスペンスは、「潜入捜査官」もの特有の「身バレ」の恐怖にも支えられています。

しょうじき本作は、「本格ミステリー」と呼べるほどロジカルな推理の面白さに重きが置かれているとはいいがたいですが、(一応)「古城の密室殺人」ものですし(!)、本来名探偵でもなんでもないイザークが、必死で昔読んだシャーロック・ホームズの挙動やセリフを思い出しては模倣してみせる描写などは、なかなかに読者のミステリー・マインドをくすぐってきます。
なにより先に述べたとおり、「名探偵という装置」の機能について、読めば読むほど深く考えさせられる小説だといえます。

もう一点、本作で何度も問われるのは、以下の根源的な疑問です。
「なぜナチス・ドイツは、かくも残酷なことがユダヤ人にできたのか」――。
本作には、さまざまなドイツ人が登場します。権威的で俗悪なゲシュタポもいれば、「時代が違えば友達になれたかもしれない」とイザークに言わしめる青年もいます。陽気な秘書、戦争の英雄、レジスタンス・・・・。そんな「ふつうのドイツ人たち」が、なぜあの狂気に飲み込まれてしまったのか。

著者は、「名探偵」に付与された絶対的な「権力」をイザークに味わわせることで、その問いへの答えを探らせます。同時に、本作では「なぜユダヤ人は、ナチスの絶滅政策に抗する手段を見いだせなかったのか」という、カウンターとなる問いも扱われます。

ユダヤ人が、ゲシュタポを裁く。
でも、バレたら、即おしまい。
この特異な設定を成立させるために、かなり強引な部分や、主人公にとって都合のよい展開が見受けられるのも確かではありますが、それを補って余りある圧倒的なサスペンスと、先の読めない面白さでぐいぐい読ませます。

著者のアレックス・ベールは、まだ40代のオーストリアの女性作家さん。
本名で何作かのミステリーを発表したのち、アレックス・ベール名義で第一次大戦後のウィーンを舞台とした刑事アウグスト・エメリッヒものを発表。大きな評価と人気を得ました。
本作は、エメリッヒものと並行して新たに執筆した、新機軸の一作といえます。

読み応えのある異色の戦時ミステリー。ぜひご一読ください!(編集Y)









2021年6月 2日 05:24

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