全国の書店のみなさま、ありがとうございます。賞にはさほど興味がなかったのですが、ノミネートの時点で「この賞だけは欲しい」と思っていました。『みうらじゅん賞』もいただきましたが、みうらさんにどうやったらもらえるんですかと聞いたら「とにかく俺と飲まなきゃダメ」と言われてから何年も根回しをしてきた結果です。その点、本屋大賞には思惑がないフェアな文学賞なので、正直、ほんとにうれしいです。
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」は母親が死ぬ直前に書き始めました。お袋のことを書きたい、と思っただけです。でも、いつもの書き慣れたエッセイにも短編小説にもならずに、何回も書き直しをして遅々と進まずにいたんです。そこに、『en-taxi』が創刊になり連載に誘っていただきました。連載が始まった当初も、まだ迷いに迷って書いていました。いつものような、もっと面白エッセイ風に………書き続けているうちに、いちばん無防備な状態で写生をしているように書いていくのがいい、とわかりました。
風景の描きかたについては、じっくり思い浮かべて、映画でいうミドルショット風に書かないように心がけたつもりです。つまり、筑豊の風景はパノラマに開けるくらい横に長い。反対に東京はすごく縦に長いから上にぎゅうっと伸びてる感じで、縦に長いものと横に長いものを対比させていこう、と。それでも三十代の僕が、小学校とか中学校の時のこととかを想像するのは無理があるでしょう。だから、いま、ぼくが思い出せないセリフは書かない、記憶している感情は書くけど、ほんとうにゆるゆると写生文にしていくしか続けるすべがないわけです。文章の中で盛り上がっちゃうと、書いてる自分が気持ち悪くなっていったり、毎日すごくしんどかった。自分で面白いと思って書けない、というのが最後までつづきましたね。後半は書き終わらないと供養が終わらない、という感じでした。書きあがったのが去年の三月末で、でも、書き出してから、まだ、一年半位しか経っていないような気がするんですよね。不思議な時間の流れと不思議な反響を感じている状態です。
それは、「東京タワー」が書いて終わりの本じゃなかったからかもしれません。肉体的には書いたあとのほうがずっときつかった。サイン会だけでも百時間以上はやってますから。サイン会にきてくれる人って、たとえば三時間やっていたら、いちばん最後の人は三時間立って待ってくれているわけじゃないですか。それでもきてくれる、話をしていってくれるそのエネルギーはすごい。僕は読んでいる人が何を考えているのか、どういう人なのか、聞きたい。だから、サイン会では、ひとり三、四分は話をします。うれしかったのは、この本を読んで、しばらく声も聞いていなかった親に電話をかけてしまったとか、久しぶりに両親と食事をしにいったとかという反応ですね。モノを書いてる人間として、読み終わって本を閉じたとたん、もう違う世界にその人がいるのではなく、一分一秒でも、読み終わったあとも、その人の生活とか感覚に影響を及ぼし続ける------それがいちばんの喜びですから。
この本を装丁しているときも、丁寧に扱ってもらいたくて、わざとはげやすい金箔をつけたり、手垢のつきやすい紙にしたり、大切にしてもらえるような本にしたいと意識したので、そう願って作った本を本屋さんも大切にしてくれている、というのがものすごくありがたいです。  リリー・フランキー(談)
     
     
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